タツモリ家の食卓2 星間協定調印 著者 古橋秀之/イラスト 前嶋重機 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)竜角《りゅうかく》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)天|翔《かけ》る十字チョップ将軍 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)00[#「00」は縦中横]式装甲|戦闘《せんとう》服 ------------------------------------------------------- [#挿絵(img/_tatumorike2_000.jpg)入る] [#挿絵(img/tatumorike2_001.jpg)入る] [#挿絵(img/tatumorike2_002.jpg)入る] [#挿絵(img/tatumorike2_005+4+3.jpg)入る] [#挿絵(img/tatumorike2_008+7+6.jpg)入る] [#挿絵(img/tatumorike2_009.jpg)入る] CONTENTS 1  『人間の条件』 2  『小さな茄子ふたつ』 3  『重装小隊』 4  『山吹色の、菓子にございま 5  『次元刀殺法』 6  『〈アルゴス〉は眠らず』 7  『あとがき』 [#改丁] 1  『人間の条件』  龍守《たつもり》家の居間のテレビの画面いっぱいに、黒地に赤い太い線で描かれた単純な顔が表示されている。テレビ自体が大きな「顔面」になった形だ。 『こんにちは、ミュウミュウ。私は〈キーパー〉です』と、テレビはいった。 「ミュウ」と、テレビの正面で龍守|忠介《ただすけ》のひざにだかれた、三歳くらいの女の子——ミュウミュウが答えた。 『私は「最大多数の人類の生存とその幸福への支援」を目的とするステラーフォーミング・システムです。私は現在、あなたに対し「暫定《ざんてい》的友好」の立場をとっています』  といって、テレビの顔面——〈キーパー〉が、にこりと笑った。 『なぜならば、私はあなたが〈人類〉であるか否かの判断を保留しているからです。私が定義する〈人類〉の条件のうち、「私との意志疎通が可能な論理的|基盤《きばん》を有すること」という一点についての判断の如何《いかん》によって、私のあなたへの対応は正式に決定されます』 「ミュウ」 『あなたが〈人類〉のカテゴリーに分類される存在ならば、あなたは私の保護《ほご》の対象になります。また逆に、そこに分類されない存在ならば、私は〈人類〉に対する潜在的脅威としてあなたを駆除します』 「ミュウ」 『あなたは私の発言の内容が理解できますか?』 「ミュウ」 『それとも、理解できませんか?』 「ミュウ」 〈キーパー〉の表情がくもり、ゆるいカーブを描いて笑っていた口が、にゅにゅにゅにゅにゅ、と動く波線になった。  忠介《ただすけ》の後ろでテレビ画面を見ていた一同——鈴木《すずき》、島崎《しまざき》、陽子《ようこ》、カーツ、バルシシア——が、ごくりとつばを飲んだ。 〈キーパー〉の判断によっては、ミュウミュウ——〈リヴァイアサン〉の幼体の駆除が即座に開始される。すなわち、太陽の超新星化による焼却。この場にいる人間のみならず、地球上の全生命が、その過程で抹殺《まっさつ》されるのだ。  そんな中、この問答の重要性を知ってか知らずか、ひとりでのんきな顔をしている忠介が、だきかかえたミュウミュウの顔をのぞきこむようにして、 「どう、ミュウミュウ?」と聞いた。  ミュウミュウは大きな青い目をくるりと動かし、忠介を見上げた。 「……ミュウ」  忠介は〈キーパー〉にむき直り、 「よくわからないそうです」 〈キーパー〉の「にゅにゅにゅ」が、ぴたりと止まった。 『了解しました。私は判断の保留を継続します』再びにこりと笑い、『それではまたのちほど。ごきげんよう、みなさん』  ぷつんと音を立てて〈キーパー〉の「顔」が消え、テレビは灰色の画面をのこして沈黙《ちんもく》した。  ふう、と、一同が息をついた。 「今日も進展なし、ですか」  といって、長い茶髪に眼鏡《めがね》の男、島崎は、ちゃぶ台の上に広げたノートパソコンになにごとかデータを打ちこみ始めた。 「しかし、どうやらまた一日生き延びられたな。拾いものだ」  といって、黒服・バーコードハゲの男、鈴木は、空中にタバコの煙を吐いた。 「……おニイ、今のほんと?」と、陽子が小声でいった。 「今のって?」と、後ろをふり返りながら、忠介。 「ミュウちゃん、今『よくわからない』っていったの?」 「うん」といって忠介《ただすけ》は、にゅい、と笑った。「多分」  陽子《ようこ》には、ミュウミュウの声はどれも「ミュウ」としか聞こえない。声の調子でうれしそうだとか不満げだとかが漠然《ばくぜん》とわかるくらいで、動物の鳴き声程度にしか意味がとれない。  でも——と、陽子は思う。ミュウミュウの言葉にしても、動物の鳴き声にしても、ひょっとしたらそれは外国語のようなもので、自分には聞きとれない内容が、兄にはちゃんと伝わっているのかもしれない。たとえば、おむかいのジロウマルを相手にしているときなど、どう見ても会話をしているとしか思えないときがある。  つい先日も、おすわりの格好でしっぽをぱたぱたとふるジロウマルと、その正面にしゃがんだ忠介が、 「オンッ」 「うんうん」 「オンッ」 「ええ〜」 「オンッ」 「いやいや」 「オンッ、オンッ」 「はっはっは」  などといっているので、 「ジロちゃん、なんていってるの?」  と聞いてみると、忠介はにゅにゅにゅとなやんだ顔をして、 「ええと、なんか……楽しいこと」といった。  ……と、そこまで考えたところで、陽子はどういうわけか無性に腹が立ってきて、拳《こぶし》を猫手《ねこて》に握り、忠介の背中にどしっと猫パンチをかました。 「はうっ——え、なに? なに?」 「おニイ、ひょっとして適当いってない?」  と、不満げにいったものの——陽子は心の奥底では「そうであってほしい」と思っている。でなければ兄は本当に、ミュウミュウやジロウマルと、自分には説明できない「なにか」について話し合っていたことになる。  ——もしそうだとしたら……?  もしそうだとしたら、兄のことが急にわからなくなって、自分が置いていかれてしまうような気がして……と、要は不安感の裏返しなのだが、陽子はそこまで意識していない。ただ理不尽な怒りのままに、猫パンチをどしどしどし。  すると「あっ、ごめん、ごめん」なぜかうれしそうにもだえる忠介。  と、そこに—— 『もし陽子《ようこ》のいう通りだとすると、非常にまずいな』  といって、ちゃぶ台の上に乗った青い猫《ねこ》——カーツ大尉が、ぱたりとしっぽを鳴らした。 『〈キーパー〉の「判断保留」は、忠介《ただすけ》とミュウミュウとの間にコミュニケーションが成立しているということが前提になっている。その前提がくつがえされるとなると、〈キーパー〉の「駆除処理」が即座に進行してしまうかもしれん』  声を発しているのは、彼の首輪につけられた金色の〈ベル〉だ。〈ベル〉というのは万能通信機兼、銀河連邦市民の身分証、といったものらしい。 「くつがえされれば、な」と、鈴木《すずき》がいった。「事実がどうであれ、忠介の働きかけによって〈キーパー〉が待ち[#「待ち」に傍点]の状態になっていることはたしかだ。だましで時間が稼《かせ》げるなら、いくらでもだまし続けてもらおう。だましきっちまえばこっちの勝ちだ」  鈴木は来客用の灰皿《はいざら》にとんとんとタバコの灰を落とし、それから忠介にむかって、 「……で、実際のところはどうなんだ? 本当にミュウミュウの言葉が理解できてるなら、それに越したことはない。偽装の手間も省けるしな」 「ええーと」と、忠介はいった。「だいたいわかるような気はするんですけど、ちゃんと合ってるかどうかはちょっとわかりません。本人に聞いてみないと——」再びミュウミュウの顔をのぞきこんで、「どう?」 「ミュウ」と、ミュウミュウ。  忠介は顔を上げて、 「だいたい合ってるそうです」  一同「……」。そこで本人に聞いても意味ないんじゃないだろうか、と思うのだが、なんとなく話が通じている風でもあるので突っこみそこねる。 「……えー、では、その点は仮にOKとしましょう」と、島崎《しまざき》がいった。「しかし、ミュウミュウの〈キーパー〉に対する反応は、忠介君と話しているときとは明らかにちがっていますね。先々、この点がネックになるかもしれません」 「え、そうでした?」と忠介。  鈴木はうなずいて、 「ただ音に反応しているだけのようにも見えたな」 「ええ……」  といって、島崎はメモ用紙をポケットからとり出し、ページを一枚抜きとると、マジックでなにか図のようなものを描き始めた。紙を横長に使い、きゅっきゅっ、きゅっきゅっ、ちょんちょん、きゅーっ。 「あ、それ……」と、忠介。 「はい、〈キーパー〉の顔です」  島崎《しまざき》は自分の顔の横で、〈キーパー〉の似顔絵をぴらぴらとふった。 「む、もうちょっと口が大きいであろう」と、メタルブラックの肌《はだ》と赤銅《しゃくどう》色の髪をもつ少女——バルシシア皇女がいった。 「あ、えーと」きゅっきゅっと口の線を伸ばし、「このくらいですかね」と、島崎。 「うむ、ようなった」とバルシシアがいうと、島崎は再び似顔絵をもち上げ、 「えー、通常、われわれはこのような図形を見たとき、それを『人の顔』として認識します。単純な点と線で構成された図形に、『人格』を感じるわけです。〈キーパー〉は対地球人用のインターフェイスとしてこの錯覚《さっかく》を利用しているわけですが、ミュウミュウが同様の認識をもっているかどうかは、はなはだ疑問です。——ちょっと実験してみますね」  島崎はメモ用紙をもう一枚とると、こちらにもきゅきゅきゅっと〈キーパー〉の顔を描いた。一枚目はにこりと笑った顔だったが、こちらは口をへの字に曲げた怒り顔だ。 「人間の子供なら、こちらの笑った顔から『好意』を、もう一方の怒った顔からは『敵意』を感じとるはずです」  といって、島崎は両手にもった似顔絵を小刻みにふり、交互にミュウミュウの顔に近づけながら、その表情を観察した。ミュウミュウは他人の感情の動きには敏感だが——  しばらく二枚の似顔絵を不思議そうにながめていたミュウミュウは、やがて、手近な「怒り顔」の紙に、すっと手を伸ばした。 「あ…」と、忠介《ただすけ》がいった。「ミュウミュウ、食べちゃ駄目《だめ》、食べちゃ駄目」 「なるほど」と、鈴木《すずき》がいった。「記号から意味を読みとってはいないわけか。それじゃあテレビを見ても、音と模様が出る箱、くらいにしか思わんだろうな」 「ええ……それは記号についての学習の不足によるのかもしれませんし、あるいはミュウミュウの目が可視光線をわれわれと同様にはとらえていない——記号自体が見えていない、ということなのかもしれません。たとえば、もし『光の代わりに赤外線を出力するテレビ』なんてものがあったとしても、われわれにはそこに映し出される画像は見えませんよね。ミュウミュウにとっては、これは(テレビを指さし)その『赤外線テレビ』みたいなものなのかもしれません」と、島崎はいった。「原因が前者であるなら、それは学習によって解決できます。また、後者ならば、情報をミュウミュウが知覚できる形に変換してわたせばよいということになります。さっきのテレビの例でいえば、赤外線カメラを使うなりすれば、われわれもどうにか『赤外線テレビ』を見ることができるでしょう。しかし、ひょっとすると……第三の可能性として、ミュウミュウには初めからその種の認識能力がそなわっていない、とも考えられます。以前カーツ大尉が主張していたように、ミュウミュウはただ『人間の女の子』の外見を装っているだけで、その内部ではわれわれのような思考活動はおこなっていないのかもしれません。〈キーパー〉が問題とし、判定しようとしているのも、まさにこの点でしょう」  島崎の説明を聞きながら、鈴木はタバコをふかし、ときおり無言でうなずく。  カーツは背筋を伸ばして島崎《しまざき》の顔を見上げ、要所要所で合いの手を入れるように、しっぽをひゅっとふる。  ふんふん、ふんふん、と熱心にうなずく忠介《ただすけ》に、 「おニイ、わかるの?」と、陽子《ようこ》が小声で聞いた。 「いや、なんとなく」と忠介。「なんとなくわかる」のか、はたまた「なんとなくうなずいてるだけ」なのか。  バルシシアはすでに小むずかしい話から興味《きょうみ》をうしない、そっぽをむいて前髪をいじっている。きりきりと指に巻きつけられた銅線のような前髪が、ぱっと手をはなすと、びよよよよ〜ん、とはね上がった。  島崎の話はさらに続き、 「——〈キーパー〉との対話は、いわば一種のチューリングテストです。これによって〈キーパー〉はミュウミュウの『人格』の有無を判断しようとしているわけですが、そのためにはまず、ミュウミュウが〈キーパー〉の[#「ミュウミュウが〈キーパー〉の」に傍点]『人格』を認識することが必要になります」 「なにやら、かみ合わん話だな」と、鈴木《すずき》がいった。 「ええ……これまでお互いを『怪物』だと思っていた者同士が、初めて『人間』として話し合おうとしているわけですから、そりゃあ、なかなかかみ合いませんよ」  と、そこまでいうと、島崎はミュウミュウの手をとってほほえみかけた。 「それにしても……この子や〈キーパー〉を見ていると、不思議な気もちになってきますね」 「ミュウ…?」と、ミュウミュウがいった。 「僕《ぼく》らは今まで、『われわれこそが人間だ』と思ってきたわけですが……『人の形をしていること』、『人の言葉を話すこと』——『人間であること』の条件って、なんなんでしょうね」 『そのテーマについては、銀河連邦の中でも見解がさまざまに分かれている』と、カーツはいった。『グロウダインひとつを例にとっても、彼らを知的生命体と認める者もいるし、ただの狂った自動機械だとする説もある』 「なんじゃと!」と声を上げたバルシシアが、陽子ににらまれた。 「殿下、喧嘩《けんか》しないで」と、陽子。 「じゃが、このくそ猫《ねこ》が——」 「『じゃが』じゃありません」陽子は視線をめぐらせ、「大尉もあやまって」 『私はただ事実をのべただけだ』と、カーツはいった。 「いいわけしないの」 『弁解ではない。これは正当な——なにかね陽子、やめたまえ!』  カーツが背中の皮をむんずとつかまれ、陽子の手元に引き寄せられた。 『警告《けいこく》! 警告する! 私に不当な危害を——やめたまえ陽子!!』  陽子は暴れる四本の足をしっかり押さえて、カーツの背中をぎりぎりとつねり上げた。  ギャオオオ、とカーツが悲鳴を上げ、 「ギギギッ?」とミュウミュウが身を強《こわ》ばらせた。 「ハ!」と笑ったバルシシアが、再び陽子《ようこ》ににらまれ、目をそらした。 「……ま、人格だの権利だの、その手の条件設定は、そのときどきで一番|喧嘩《けんか》の強いやつが決めることだな」と、鈴木《すずき》はいった。「皇帝やら、教会やら、政府やら——今なら〈キーパー〉だ。せいぜい顔色をうかがうとしよう」 「はあ……」と、島崎《しまざき》はいった。  天上にむけて、ぽわ、と煙の輪を吐く鈴木を見ながら、  ——相変わらず、この人のいうことは身もふたもないなあ。  と、忠介《ただすけ》は思った。  さて、その晩——  忠介と陽子が兄妹ふたりで暮らしていた龍守《たつもり》家に三人の同居人——ミュウミュウと、カーツと、バルシシア——が加わってから、三日目の晩ごはん。  てろりとソースのかかったミートボールを、忠介は箸《はし》でふたつに割り、その片割れをふーふーと吹いた。  ミュウミュウは忠介のひざの上に乗り、大きな青い目で忠介の箸の動きを追っている。 「あーん」と忠介が大口を開けると、ミュウミュウはそのまねをして大きく口を開けた。  ミュウミュウは一見、ただの小さな女の子に見える。  でも、本当はちがう、と、陽子は聞かされている。本当は「天文学的スケールのエネルギーの塊」だとか、「エーテルなんとか[#「なんとか」に傍点]生命体」だとか。なんだかよくわからない。  ミュウミュウがミートボールを口に含むと、忠介はのこり半分を自分の口に放りこみ、ふたりそろってもぐもぐもぐもぐもぐ、ごくん。 「おいしい?」と忠介がいうと、ミュウミュウは忠介の顔を見上げ、 「ミュウ」と答えた。  忠介は陽子にむかって顔を上げ、にゅい、と笑いながら、 「おいしいって」 「そう」  陽子は肩の力を抜いて、これでいいんだ、と思った。ミュウミュウが本当はなに者であれ、普通の子として扱って、普通の子みたいになってもらう——そのためにうちであずかっているのだから、この子の正体がどうだとか、そんなことは考えなくていいのだ、と。  陽子がせいいっぱいの笑顔を浮かべながら、 「いっぱい食べてね」というと、 「ミュウ」とミュウミュウは答えた。  今の、ちょっとわざとらしかったかしら、と思いつつ、続いて陽子《ようこ》はのこりのふたりをちらりと見た。問題は、このふたりなのだ。  くちゃくちゃと音を立てながら、ちゃぶ台の片すみで缶詰《かんづめ》のキャットフードを食べていたカーツが、顔を上げ、口のまわりをぺろりとなめながら、 『ふむ。代用食としては、まあ及第点だな』といった。『昼間の、ドライフードとかいう……あれはまるで家畜の餌《えさ》だったが』 「ハ、貴様はまさしく家畜であろうが」と、バルシシアがすかさず口をはさんだ。「わきまえよ、四つ足」 『ほほう』と、カーツはいった。『君たちグロウダインが足の本数で社会的序列を決定するとは寡聞《かぶん》にして知らなかった。さだめし、クレメント㈼の知性アメーバには敬意を惜しまないのだろうな! ……おっと、偽足は数に入れるのかね、皇女殿下?』 「愚弄《ぐろう》するか、くそ猫《ねこ》……!」  バルシシアの鋭い両眼と額《ひたい》の第三眼が赤い光を放ち、ブン、と音を立てて、黒い顔面に光の筋が走った。グロウダインの臨戦《りんせん》態勢を表す、攻撃紋《こうげきもん》だ。 「大尉、殿下」陽子が、静かな、しかし有無をいわさない口調でいった。「喧嘩《けんか》やめて」 『これは失礼した。秘境的星間帝国の素朴なる文化に、学究的な興味《きょうみ》をおぼえたものでね』  そういってカーツは、ぶるぶるっ、と首をふった。マグロのフレークのかけらが、ぱらぱらと周囲に散った。 「食いかすが飛んだぞ、猫!」  と叫んだバルシシアが、陽子にぎろりとにらまれ、ふん、と鼻を鳴らしながら目をそらした。 「……きたならしく食い散らかしおって。畜生は畜生らしく、床に這《は》って食えばよいのじゃ。そうであろう、忠介《ただすけ》」  いきなり話をふられた忠介は、 「え、いやあ……」といった。  猫の口は元来、獲物《えもの》の体を引き裂いてその肉を食らうようにできている。皿《さら》からものを食べるのにはむいていないのだ。それで猫は——カーツに限らず、どこのうちの飼い猫も——左右に首をふり、ぼろぼろと皿の外にかすを散らしながら食事をする。  ——こればっかりはしょうがないよなあ。だって猫だし。  と、忠介は思う。「きたないから床で食え」という意見もわからないではないが、床をふくのもちゃぶ台をふくのも手間は同じだし、要は気分の問題じゃないかなあ。  それに——  そういうバルシシアの周囲も、カーツに負けず劣らずよごれているのである。バルシシアは横目でカーツをにらみ、ソースをぽたぽたとたらしながら、そろりそろりとミートボールを口に運んでいる。まだあまり上手《うま》く箸《はし》を使えないのだ。加えて、ごはんを食べながらしゃべると、ノコギリみたいにギザギザにとがった前歯のすきまから、ごはん粒がぴんぴん飛んでくる。あの口は米を食べるより、牛とか馬とかを生きたままバリバリ食べるのにむいてるんじゃないかなあ、と、忠介《ただすけ》は思う。  ついでにいうと、忠介のひざの上で食事をしているミュウミュウも、子供用スプーンでごはんをすくってはぼろぼろぼろ、ときにはおかずを手づかみにしてぐにゅぐにゅぐにゅ。  総じて、ちゃぶ台の上はえらいありさまになっている。  忠介はあんまりそういうのが気にならないたちなのだが、陽子《ようこ》の眉毛《まゆげ》がぴくぴくしているのでちょっとはらはらする。なにしろ陽子は、忠介とふたりきりのときには、 「あっ、おニイ、今ごはん粒落ちた!」といって食事を中断し、「そこ、その辺! もっとよくさがして!」と、見つかるまで許してくれないくらいの潔癖《けっぺき》症なのである。  ともあれ——  バルシシアの悪態に対し、カーツはぱたりとしっぽを打ち鳴らし、『その件については以前に話し合ったはずだ。私は君たちと同等の待遇を要求する』といった。 「なにが同等じゃ、このくそケダモノ——」  といった拍子にバルシシアの箸《はし》がすべり、ミートボールがちゃぶ台の上にぺしゃっと落ちた。 「…あ」  カーツがほおひげを立ててにやりと笑った。 『たしか、テーブルマナーの話をしていたと記憶《きおく》するが?』  む、と顔をしかめたバルシシアは、箸の先でミートボールを転がし、カーツの皿《さら》のほうへ追いやった。 「ふん、めぐんでやろうと思ったのじゃ。頭《こうべ》をたれて食え」  ころころと転がってきたそれを、カーツは前足で受け止め、猫《ねこ》フックで打ち返した。 『つつしんでお返しする。君からほどこしを受ける理由はない』  目の前に返ってきたそれを、バルシシアは再び打ち返した。 「貴様のくそをこねた足でふれたものが食えるか」  再び転がってきたそれを、カーツはさらに打ち返した。 『私の口にも合いそうにないな』 「いいから食え」 『いらん』 「食えというに」 『断る』  いつしか、ふたりのやりとりはホッケーの試合のようになっていた。右に左に転がるミートボールを、忠介とミュウミュウの視線が追う。  と——  バルシシアの手元が狂った。方向のそれたミートボールは、ころころころ——とソースのあとを引きながらちゃぶ台の上を斜めに横断し、畳の上にぽとりと落ちた。  ああ〜、とそのあとを追った一同の視線が、陽子《ようこ》の上に移動した。  陽子は茶わんをかまえ、目を伏せたままの格好で、動かない。  そして、その眉毛《まゆげ》だけがぴくぴくぴくぴくぴくぴくぴく。 「あっ、えーと、えーと」うろたえる忠介《ただすけ》を、 「ミュウ?」とミュウミュウが見上げた。  おろろ、と一瞬《いっしゅん》とまどったバルシシアは、カーツのほうをむいて、 「……拾え、猫《ねこ》」と小声でいった。  カーツは顔を上げ、しっぽをぱたりと鳴らして、 『断る』  がちゃん! とちゃぶ台に両手を突いて、陽子が立ち上がった。 「ギギッ!?」と叫ぶミュウミュウを、忠介がギュッとだきしめた。  陽子はカーツとバルシシアから皿《さら》をとり上げ、忠介の前に置き直した。 「ふたりとももういらないみたいだから、おニイ、食べちゃって」  抗議の声を上げかけたカーツとバルシシアが、陽子ににらみ倒された。 「ええ〜」と、忠介はいった。カーツとバルシシアのほうをちらちらと気づかいながら 「……こんなに食べられるかなあ」 「のこしちゃ駄目《だめ》」と、陽子は短くいった。  忠介はカーツの食べかけのマグロのフレークを箸《はし》でつつきながら、 「でも、猫|缶《かん》ってあんまり味がないんだよね……」先日、味見してみたのである。  すると、陽子は醤油《しょうゆ》差しを手にとって、マグロのフレークの上に、ぢゃっと醤油をかけた。 「ああ〜」  忠介は陽子とカーツとマグロのフレークを順番に見まわしながら、 「えーと……いただきます」といった。  龍守《たつもり》家の二階には三つの部屋がある。四畳半がひと部屋に、六畳間がふた部屋。六畳間のひとつが、今はカーツとバルシシアの「宇宙人部屋」になっている。  もちろんふたりはこの部屋割りに不満を述べた。だが、「いやなら外で寝てちょうだい」という陽子のひと声で、いやおうなく、そう決まってしまったのだ。  部屋の中央には、ビニールテープで「国境線」が引かれた。部屋の奥側の半分が、バルシシアのベッドが置かれた「グロウダイン帝国領」、のこる入り口側の半分が、カーツの管理する「銀河連邦領」だ。  正確には、入り口付近の一畳分のスペースはバルシシアの出入りのための中立地帯となっているので、「連邦領」は「帝国領」の三分の二の面積しかない。カーツはこの点にも意義を申し立て、両領土の面積比はそれぞれの母国の勢力範囲の比率に準ずるべきであると主張した。  だが、それだとバルシシアは片足のつま先で立ちながら寝なければいけなくなるので、はなはだ具合が悪い。で、結局、忠介《ただすけ》の「殿下のほうが体が大きいから……」という、あたり前といえばあたり前の意見によって、今の形に一応おさまったのであった。  が、しかし。ふたつの星間勢力が相対する六畳間は、今夜も緊張状態にある。 「ええい、くそ、いまいましいわ!」  ベッドに転がったバルシシアが、天上にむかって毒づいた。 『静かにしてくれたまえ。空腹にひびく』  カーツは寝床の段ボール箱の中で体を丸めている。さっさと眠りについて、明日の朝食までの時をやりすごす算段だ。 「ハ、自業自得《じごうじとく》じゃ、このくそ猫《ねこ》」  無論、バルシシアも腹は減っている。もとより、超高密度の肉体をもつグロウダインにとっては、先ほどの食事などは霞《かすみ》を食うようなものである。先日のエネルギー放射からこっち、腹は減りっぱなしなのだ。  しかし、グロウダインは無補給状態で数ヵ月単位の活動が可能であるし、いざとなれば自ら休眠モードに入って半永久的に命を永らえることもできる。その点からいうと、バルシシアには地球人やカーツが感じるような、生死に直結する「空腹感」は縁遠いものといえる。  バルシシアが腹を立てているのは、おもにプライドの問題だ。宿敵たる銀河連邦、それも一介の斥候《せっこう》と同列に扱われ、そればかりか、なんの戦闘《せんとう》力もない原住生物の支配下に置かれているというこの状況は、銀河随一の戦闘種族グロウダイン、さらにその中にあって最強を誇るギルガガガントス家の誇りをいたく傷つける。銀河の覇権《はけん》のかなめとなるエーテル渦動《かどう》生命体〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウをめぐる利害関係の結果であると、頭では理解していても、感情が納得しないのだ。  いきおい、その不満の矛先は同室のカーツにむかう。 「貴様は勝手に飢えて死ねばよいが、こちらはよい迷惑じゃ」  カーツには反論する気力もない。箱の中でごそりと体を動かすだけだ。 「聞いておるか、猫。なんとかいえ、くそ猫」  と、そこに、階段を上る足音が聞こえ、バルシシアは口をつぐんだ。昨日もおとといも、夜中に大喧嘩《おおげんか》をして、陽子《ようこ》に怒鳴りこまれたのだ。  とんとん、とノックの音。 『入りたまえ』 「入るがよい」  と、ハモるふたりの声にうながされ、ドアを開けたのは忠介だった。腰にはミュウミュウが引っついている。  忠介《ただすけ》は手にした盆を軽くもち上げながら、にゅい、と笑った。 「ごはん、もってきたよ」  バルシシアが顔を上げ、カーツが箱の中から頭を突き出した。  ふたりがいそいそと入り口のほうに寄ってくると、連邦領、帝国領、中立地帯の交わる一点を中心に、一同は車座になった。  忠介が皿《さら》に開けた新しい猫缶《ねこかん》を、カーツは飛びつくようにして食べ始めた。まさしく猫まっしぐら、「ハ! あさましい姿よな」というバルシシアの憎まれ口に対しても、しっぽをぱたりと鳴らすだけで、顔を上げもしない。  バルシシアには、大きなオニギリが三つ。床にあぐらをかき、手にしたオニギリをがぶりがぶりと豪快にかじりながら、バルシシアはふと、皿にのこるオニギリのひとつに目を留めた。  でこぼこしてやけに不格好なそれは、ごはんの上に海苔《のり》を巻いたというより、ごはんと海苔をぐちゃぐちゃに混ぜて握ったみたいになっている。 「なんじゃこれは?」 「あ、それはミュウミュウが作りました」といいつつ、忠介はポットから急須《きゅうす》にお湯を注いだ。  バルシシアの黒い顔に、ふ…、と笑みがもれた。 「……ミュウミュウは、よいお子じゃの」 「ミュウ?」と、ミュウミュウがバルシシアの顔を見上げた。  バルシシアはなおもオニギリをほおばりながら、 「(もぐもぐ)此度《こたび》の心づかい、決して忘れまいぞ。(もぐもぐ)おぬしらが晴れてわが臣民となったあかつきには——」  ぱたり、とカーツがしっぽを打ち鳴らした。バルシシアはカーツにむかって威嚇《いかく》するように歯をむき出してから、再びミュウミュウと忠介にむき直り、 「そのあかつきには、おぬしらの行く末は、万事つつがなきようにとりはからってつかわすによって、大戦艦《おおぶね》に乗った心地でおるがよい」 「ははあ、どうも」  と頭を下げつつ忠介は、体育会系の人って義理がたいなあ、と思った。  続けてバルシシアは、ミュウミュウにむかって、そろりと遠慮《えんりょ》がちに手を伸ばした。 「…ミュウ?」  バルシシアの手が、ミュウミュウの前髪をよけ、額《ひたい》の前を空けた。額の真ん中には、青い宝石のような小さな突起《ぽっち》がある。見ようによっては、バルシシアの赤い第三眼と似ていなくもない。 「ミュウミュウよ」  バルシシアはミュウミュウの髪をかき上げるようになでながら、 「これよりのちも、その調子で素直に育つがよい」といった。  それから一段声を落として、 「あまり陽子《ようこ》に似てはいかんぞ、あれは性格がきっついからの」 「あ…」と、忠介《ただすけ》。 「なんじゃ」 「あ、いえいえ」  バルシシアが今食べているオニギリは陽子が作ったのだということを、なんとなくいいそびれてしまった忠介である。  さて、バルシシアがまたたく間にオニギリをたいらげ、忠介があちちちち、と差し出す熱いお茶を無造作に受けとって、ぐびぐびぐび、と飲みほしたころ、こちらもようやく人心地(猫《ねこ》心地?)がついてきたのか、カーツが皿《さら》から頭を上げた。 『なかなか悪くない』  カーツはぶるぶるっと首をふり、口のまわりをぺろりとなめた。 『まさに、空腹は最高の調味料だな』  と——  カーツの口元から飛んだキャットフードのかけらが、国境線を越え、バルシシアの足元に落ちた。 「食いかすが飛んだぞ、猫!」  と叫んだバルシシアが、次の瞬間《しゅんかん》、はっと口をつぐんだ。それから、おろおろとあたりをうかがうようなそぶりを見せ、階下の物音に耳をすませたのち、ほっとひと息。  ここ数日で、すっかり陽子の尻《しり》に敷《し》かれてしまっているのである。  夜食のあと、忠介はおむかいの郷田《ごうだ》荘の犬、ジロウマルを散歩に連れて出た。  街灯に照らされた夜道を、背中にミュウミュウを乗せたジロウマルが、ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっ、と小さな足音を立てて歩き、そのあとに散歩ひものはしを握った忠介と、塀《へい》の上のカーツが続く。  ジロウマルが電柱の根元をふんふんと嗅《か》いで、 「オンッ」というと、ミュウミュウは、 「ミュウ」といって、その背中からぴょんと飛び降りた。  それから、ジロウマルが片足を上げて小便をしたのち、 「オンッ」というと、ミュウミュウは、 「ミュウ」といって、再びその背中にぴょんと乗った。ミュウミュウの体は風船みたいに軽いので、それほどジロウマルの負担にはならないようだ。  ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっ、と散歩を続行しつつ、やがて、一行は忠介《ただすけ》の高校(歩いて一〇分)に立ち寄った。  高校に着くと、校舎裏の金網の破れ目にジロウマルとミュウミュウとカーツを順番にくぐらせ、忠介自身は金網をよいしょと乗り越えた。  校舎裏を通って校庭に出ると、忠介はジロウマルの首輪からひもを外し、二、三度軽く屈伸をしてから、五〇メートルほどはなれたところにあるバスケのゴールポストを指さした。 「じゃ、まずあそこのとこまで競走ね」 「オンッ」 「ミュウ」  まず、ミュウミュウが矢のように飛び出し、二番手はジロウマル。忠介が準備運動をかねて大きく腿《もも》を上げながらそのあとに続く。  忠介が半分も行かないうちに、ミュウミュウとジロウマルはゴールにつき、 「オンッ」 「ミュウ」と、忠介を呼んだ。 「えーと、それじゃあ」忠介はくるりとふり返り、「今度はあっち」 「オンッ」 「ミュウ」  倍近い距離的なハンデをミュウミュウとジロウマルはあっという間に詰め、忠介を追い抜いて校庭のはしに駆けていった。  忠介は再びむきを変え、 「じゃ、またこっち——」といってダッシュ。今度はけっこう本気。 「オンッ」 「ミュウ」  そんなことを四回、五回と繰り返すうちに、ジロウマルのスピードが鈍ってきた。最初はミュウミュウと張り合っていたのが、忠介に伴走するようになり、やがて、勝敗に興味《きょうみ》なし、というように、とっとっとっと、と歩くようになった。  一〇年前はふたりでいっしょに一日中走りまわっていたのに、  ——もうおじいさんなんだなあ。  そんなことを思いつつ、忠介はジロウマルといっしょに昇降口前の三和土《たたき》に腰かけた。最初から傍観を決めこんでいたカーツが、その横に歩いてきて、丸くなってしゃがんだ。  ミュウミュウは体力があり余っているのか、陸上競技用のトラックをひとりでぐるぐるまわっている。いつの間にか、その体全体がぽうっと光を放ち、額《ひたい》の真ん中からは青く光る角《つの》が伸びている。顔を前に突き出し、角の先端で空気を切り裂くようにして、光の尾を引きながらすごい勢いで走っている。  やがて、ミュウミュウはトラックをそれて、ゴールポストにむかって一直線に走っていった。そして、そのままの勢いで三メートルの支柱をたたたっと駆け登り、バックボードのてっぺんから額《ひたい》の角《つの》を夜空にむけ、 「キオオオオン……」といった。  その姿を見たカーツが、 『ふむ……身体的運動によって、〈リヴァイアサン〉の本能が刺激されているのかもしれん』といって、ぱたりとしっぽをふった。『危険な兆候だな』 「でも、ミュウミュウはいつか宇宙に帰るわけだから……」 『たしかに』と、カーツはいった。『われわれは、〈リヴァイアサン〉の形質を保ったままミュウミュウを人類化せねばならん。じつに困難な任務だ』  忠介《ただすけ》はミュウミュウを見ながら、にゅい、と笑った。 「いやあ、なんとかなりますよ」根拠ないけど。 『君は楽天家だな』 「はっはっは、そうかも」  屈託なく笑う忠介の顔を見上げながら、カーツは考えた。  ——もし〈リヴァイアサン〉が暴走すれば、この辺境星系の主星の周囲に展開する〈キーパー〉は、この惑星を星系ごと跡形もなく消去するだろう。  しかし、それによって銀河連邦がこうむる被害は、実質カーツの身ひとつ。微々たるものといっていい。カーツは自らの死を恐れはしない。銀河の平和に殉ずる心がまえは、初めてこの身に〈黄金のベル〉を帯びたときから、すでにできている。  だが、忠介はどうだ。おのが身のみならず、自らの属する世界そのものと、六〇億の同胞の命をその身に背負っていることを、この少年は理解しているのか……? 「あ…」と、忠介がいった。  ミュウミュウがバックボードから飛び降り、こちらに駆けてきた。  そして、校庭の一角をあっという間に走破すると、忠介たちの横を駆け抜け、校舎の壁《かべ》を四階まで駆け上がると、屋上のヘリをけって大きくジャンプ。  そして、  ドォン——  放物線の頂点、はるかな高みに達したミュウミュウの体が爆発《ばくはつ》し、一瞬《いっしゅん》、校庭が真昼のように照らされた。そして、再び急速に闇《やみ》に沈む空を裂くように、  ギィィィィィン——![#「ギィィィィィン——!」は太字]  と音を立てて、大きな光の塊が飛び去った。 『追跡する』といって、カーツが校庭に歩み出た。『〈スピードスター〉!!』  ギュン——と音を立てて、全長五メートルほどの平たい流線型の航行体、〈スピードスター〉がカーツの前に現れ、滞空した。銀色の液体外装の中から現れたコクピットにカーツがおさまると、〈スピードスター〉はミュウミュウのあとを追い、夜空を貫いて飛んでいった。  ふた筋の光跡が、夜の雲間に吸いこまれるように消えていった。 「わはぁ……」忠介《ただすけ》は口を半開きにしながらそれを見送り、「カッコいいなあ〜」 「オンッ」  ジロウマルが校庭の真ん中に駆け出した。そして、しっぽをふり、空にむかって躍り上がりながら、 「オンッ、オンッ」と吠《ほ》えた。 [#改ページ] [#挿絵(img/tatumorike2_041s.jpg)入る] [#改丁] 2  『小さな茄子ふたつ』  鈴木《すずき》と島崎《しまざき》が龍守《たつもり》家を訪れたのは、翌日早々のことだった。 「昨日のあれ[#「あれ」に傍点]、な……」  といって、鈴木はタバコをひと吸いし、空中にぽわっと煙の輪を吐いた。 「空自の警戒網《けいかいもう》に引っかかって、えらい騒《さわ》ぎになってたぞ」 「あ、すいません」  といって、忠介《ただすけ》は頭を下げた。騒ぎといえば、地上でもあの直後、大きな爆発《ばくはつ》音に近所の人がぞろぞろと出てきてしまって、忠介とジロウマルは一〇分ほど校舎の陰に隠れていたのであった。パトカーとかもきちゃって、たいへんだった。  さらにその何分かあとにカーツに先導《せんどう》されて帰ってきたミュウミュウは、今は女の子の姿にもどって忠介のひざにだかれている。 「まあ、こっちでもモニターはしてるが、できたら一報入れてくれ。初動が遅れると、もみ消しもひと苦労だ」 「はあ、一報って……どこにですか?」 「そこで、今日はこれをもってきました」  といって、島崎《しまざき》が黒い携帯電話をとり出し、ちゃぶ台の上にことりと置いた。鈴木《すずき》が使っているのとおそろいの、シンプルなデザインのものだ。ちょっと大きめの、正方形のディスプレイがついている。 「ハイパーウェーブ・コミュニケーターです」 「はあ、携帯電話みたいですね」と、忠介《ただすけ》。 「まあ、携帯電話なんですけどね」と、島崎はあっさり認め、「これを使って〈アルゴス〉のネットワークにアクセスできます。僕《ぼく》と鈴木さんのチャンネルは開けてありますから、なにかあったらこれで鈴木さんに連絡してください」 「はあ」  それから、 「コミュニケーターの機能は、それだけじゃなくてですね——」  と、島崎がいいかけた、そのとき——  二階から、二人の男が降りてきた。ともに電気屋のロゴが入った作業着姿だが、なんだか無愛想だし、動作が妙にきびきびしてるし、変な電気屋さんだなあ、と忠介は思う。  二人の電気屋は鈴木のまえにぴしっと並ぶと、 「架設終了しました」 「おう」と、鈴木。 「カセツって——」  なんですか? と忠介がいおうとしたとき、 「なによこれ!?」と、表から陽子《ようこ》の声がした。  忠介とミュウミュウが外に出ると、マルタンデパートのビニール袋を提げた陽子が、屋根の上を見上げていた。  その視線を追って屋根を見上げた忠介が、「うわあ〜」といった。  龍守《たつもり》家の屋根の上には、冗談みたいに大きなパラボラアンテナがのっていた。直径二メートルはある、鏡面《きょうめん》の反射板。そのまわりにも、なにに使うのか、色々な形のアンテナが何本も生えている。  忠介を追って出てきた島崎が、 「今、動作テストもすませちゃいますね」  といって、自前のコミュニケーターをノートパソコンにつなぎ、なにやらキーボードを操作した。  すると—— 「ギッ?」といって、ミュウミュウがアンテナを見上げた。  同時に、ぐいん、と音を立てて、アンテナがむきを変え始めた。ぐいん、ぐいん、ぐい〜ん、と、柔軟体操の首まわしのように回転したアンテナは、やがて、ミュウミュウとむき合う形でぴたりと止まった。  ——なんだかよくわからないけど、すごく面白い。 「はっはっは」  思わず笑い出した忠介《ただすけ》の尻《しり》が、陽子《ようこ》にけられた。 「え、なに?」  とふり返った忠介には答えず、陽子は島崎《しまざき》をにらみつけ、アンテナを指さした。 「外してください」 「「ええ〜」」ハモる忠介と島崎。 「……どうした嬢《じょう》ちゃん」  と、遅れて出てきた鈴木《すずき》に、陽子はいった。 「あれ、いったいなんなんですか。バカみたい」 「パラボラぐらい、今どきどこの家でもついてるだろう。衛星放送のやつが」 「あんな大きいの、ついてません」そりゃそうである。「いったいなんに使うんですか、あんなの」 「あ、それはですね」  と、うれしそうにいった島崎が、陽子ににらまれて、声のトーンをやや落とした。 「えー、あれは〈アルゴス・システム〉のモジュールの一種で、簡単にいうと一種のレーダーです。ミュウミュウやバルシシア殿下の体、それにカーツ大尉の〈ベル〉などから出ている微弱なハイパーウェーブをとらえ、追跡するしくみです」 「そんなの、なにもうちの屋根につけなくてもいいじゃないですか」と陽子がいうと、 「ここにあるほうが、整備とか調整に便利ですし——」と、島崎。 「親父《おやじ》さんの許可はとってある」と、鈴木。  屋根の上のアンテナを見上げ、  ——あー、父さん好きそうだなあ、こういうの。  と思い、それから陽子の顔を見て、  ——陽子は嫌《きら》いそうだなあ、こういうの。  と思いつつ、 「えーと、こういうのは、もっと背の高い建物《たてもの》につけたほうがいいんじゃないですか?」と忠介がいうと、 「通常のアンテナの場合はそうなんですけどね」と、島崎はいった。「ハイパーウェーブを使うんで、地下でもいいくらいです」 「どうでもいいから、はやく外してください!」  と、陽子《ようこ》が顔を真っ赤にしていうと、鈴木《すずき》は忠介《ただすけ》の肩をぽんと叩《たた》き、 「説得はまかせた」といって、さっさと玄関に引っこんでしまった。  ……まかされてしまいました。 「あ、えーと」  忠介は言葉をさがし、こちらをにらみつける陽子に、 「いやあ、ああいうのがあると、きっと便利だよ」といった。 「便利って」 「えーと、ミュウミュウが迷子になったときとか」 「そんなの、おニイがちゃんと見てればいいことじゃない。だいたいレーダーで迷子さがしたりしないわよ、ふつう」そりゃそうである。 「でも、また昨日みたいに飛んでっちゃうかもしれないし」 「……」陽子は口をとがらせてだまりこんだ。 「あ…」  今のはちょっとまずかったかなあ、と、忠介は思った。要するに陽子は、ミュウミュウが爆発《ばくはつ》したり空を飛んだりする、そういうこと自体が好きではないのだ。でも、そのへんを深く突っこむと「陽子はミュウミュウを嫌《きら》ってるのか」みたいな話になってしまうし……。 「えーと、えーと」なにか気のきいたこといわなきゃ。  そこで忠介が、 「そうだ、映画のいいやつ見れるよ」  というと、島崎《しまざき》がもうしわけなさそうに頭をかいて、 「いやあ……衛星放送は入んないです」といった。  その後、屋根の上のモジュールから引かれたケーブルが、ビデオデッキくらいの大きさのチューナーを介して居間のテレビにつながれ、 「これで、この家には〈アルゴス・システム〉の支局の機能が備わったことになります」  と島崎がいうと、陽子はなにかいおうとして口を開きかけ、それから、その口をとがらせてだまりこんだ。  そして—— 『や、これはこれはみなさまがた、映像にてはお初にお目にかかりまする。それがしはこのグロウダイン帝国〈吶喊《とっかん》遊撃《ゆうげき》艦隊《かんたい》〉旗艦〈突撃丸《とつげきまる》〉にてバルシシア殿下の参謀《さんぼう》をつとめまする、戦略神官オルドドーン・ヴォルデデデステス326-988Gにございます』  テレビ画面いっぱいに映った岩のような顔面が、満面の笑みを浮かべた。 〈アルゴス・システム〉が受信したハイパーウェーブ通信が、居間のテレビに転送されているのだ。同時に、こちらの画像と音声は、テレビの上に設置されたカメラとマイクで拾われ、逆のルートを通って〈突撃丸《とつげきまる》〉に送られている。 『首の具合はどうじゃ』と、バルシシアがいった。 『は、おかげさまで、すっかりようなり申した。これ、この通り——』  オルドドーンは大きな手のひらで、側頭部をガキンとはたいた。  と——  その大きな首がぽろりととれ、 「うわ」テレビ画面を見ていた一同がのけぞった。 『——あいや、それはさておき』  オルドドーンはあわてて両手で頭をささえ、ごりごりと首の位置を直しながら愛想笑いを浮かべた。 『本日は、恒星風《かぜ》おだやかにしてエーテルは晴朗、友好通信にあいふさわしき、まことによき日と存じまする』 『同感だ』  ちゃぶ台の上、テレビの正面に座ったカーツが、しっぽをひゅっとふった。 『私は銀河連邦特務監察官カーツ大尉。〈突撃丸〉の諸君との友好的接触を喜ばしく思う』  するとオルドドーンは、 『おお、監察官どのはク・ドラン族にあられましたか。ひげ長く、尾長く、お毛並みもまことにお見事でございますな』  なんということもない社交辞令だが、この大男がいうと、じつに感じがいい。オルドドーンの出自《しゅつじ》たるヴォルデデデステス家は戦略思考機械としての機能を旨とするが、そのほかに、外交担当氏族の血も混じっているのだ。  そのオルドドーンの言葉に、 『光栄の至り』カーツが胸をそらすと、 「ハ、正直にいうてやれ。まるでほつれた毛玉じゃ」と、バルシシアがいった。  すると—— 『殿下、なりませぬ』オルドドーンが渋面を作った。『敵であれ同盟者であれ、相対して言葉を交わす者の体面をおとしめることは、すなわちおのが身のほまれをおとしめることにほかなりませぬぞ』 「うるさいのう」  バルシシアは口をとがらせ、周囲をちらりと見まわした。 「このような場で、説教なぞするでない」 『このような場にあればこそ、長たる者の自覚が肝要と存じまする』 「知らぬ」と、バルシシアが横をむくと、 『殿下……!』  黒い巨顔に、ブン、と音を立てて赤い光が走った。  同時に、モニターの画像がザザッと音を立ててゆがみ、乱れた。 「あれ? 故障ですかね」と、島崎《しまざき》がテレビの端子の部分をのぞきこんだ。 「オルドドーン、画面が見えぬ」と、バルシシア。 『や……これは失敬』  といって、オルドドーンが攻撃紋《こうげきもん》とともにおのが体から発した磁気を抑えると、画面のゆがみはおさまった。オルドドーンは再び笑みを浮かべながら、 『——して、まわりのかたがたは?』  カーツのしっぽが、ちゃぶ台の片側にむかって、ひゅっとふられた。 『このふたりは、鈴木《すずき》に島崎。地球を代表する〈アルゴス〉なる組織のエージェントだ』 『これはこれは』と、オルドドーン。  鈴木がわずかに頭を下げ、あわててテレビの正面にもどった島崎が前歯の欠けた笑顔で、「初めまして」といった。  続いて、カーツのしっぽが、反対側に、ひゅっ。 『そして、この幼児がミュウミュウ。〈リヴァイアサン〉の幼体だ』 『なんと、そちらのお子が!!』オルドドーンが叫ぶと、画面がザザザッと乱れた。 「ギギッ!?」とミュウミュウ。 「オルドドーン、うろたえるでない」と、バルシシア。 『や、これは失敬』画面は再び正常にもどり、『いや、それにしても……まっこと、竜《りゅう》とは不可思議な生き物にございますな……』  おどろくのも無理はない。この小さな娘が「宇宙|艦隊《かんたい》に匹敵する力を秘めた超生命体」だといわれて、素直に納得しろというほうが無茶《むちゃ》だ。  しかし、目を大きく見開き、画面越しにまじまじとミュウミュウを見ていたオルドドーンは、やがて、大きな顔全体をほころばせ、 『なんとまあ……かわいらしゅうございますなあ』  ——ふむ。やはりミュウミュウは、ヒューマノイド系の種族には容易にその存在を受け入れられる傾向があるようだ。  オルドドーンの表情を見ながら、カーツは考えた。ミュウミュウの目の前で、長いしっぽが蛇《へび》のようにくねくねと動いている。考えごとをするときのくせだ。  ——これはつまり、ミュウミュウの擬態《ぎたい》がそれだけ効果的だということだ。私をのぞくこの場の全員が、その外見に半ば眩惑《げんわく》された状態にある。となれば、私はますます冷静に真実を見きわめねばギヤオッ!?  くねくね動いていたカーツのしっぽが、ギュッとつかまれ、ミュウミュウの手元に引っぱられた。カーツはちゃぶ台にガリリと爪《つめ》を立ててしがみつきながら、 『やめたまえ、ミュウミュウ!!』 「あっ、駄目《だめ》駄目」  忠介《ただすけ》がミュウミュウの手をはなさせると、テレビの中のオルドドーンは、ミュウミュウにむけていた視線をやや上にずらし、 『して、そちらのご仁が……?』  ぺろぺろとしっぽをなめていたカーツは、顔を上げると、 『そう、彼が龍守《たつもり》忠介。ミュウミュウの保護《ほご》者だ』 『おお、これはこれは。われらが故国《さと》にては、英傑をたたえるにあたって「竜《りゅう》に見初《みそ》められたる者」などと申しまするが、いやはや、文字通りに竜に見初められたる忠介どのこそは、まことのもののふといえましょう』  オルドドーンが光る目を閉じ、深くうなずいた。グロウダイン流の敬意の表現だ。  それにつられて、 「あっ、どうもどうも、はあ、どうも」  と、忠介もぺこぺこと頭を下げた。どうにも「もののふ」という感じではない。 『最後に——』  カーツのしっぽが、忠介のとなりの陽子《ようこ》にむかって、ひゅっとふられた。 『彼女は龍守陽子。龍守忠介の保護者だ』 「どうも……」  と、頭を下げかけた陽子が、パッと頭を上げ、カーツをむっとにらんだ。 「保護者じゃなくて妹です」 『その主張は論理性を欠いている』と、カーツはいった。『私は役割的な観点から君の立場を説明したまでだ。社会的、遺伝《いでん》的関係を主張するためにそれを否定する必要はない』 「あたしは妹なんだから、おニイのほうが保護者でしょ」 『そこで年功序列の概念をもち出すのはナンセンスだ。現に君は——なにかね陽子!』  カーツが背中の皮をむんずとつかまれ、陽子の手元に引き寄せられた。 『やめたまえ! 警告《けいこく》、警告する! 私に不当な危害を——』  陽子はカーツの足をすばやく押さえ、その背中をぎりぎりぎり。  ギャオオオ、とカーツ。 「ハ!」と笑ったバルシシアが、陽子ににらまれ、あわててそっぽをむいた。  そして、 「はっはっは」と笑う忠介に、猫《ねこ》パンチがどしっ。「はうっ」 「もう、おニイがしっかりしないからいけないんでしょ」と、陽子は小声でいった。 「え、いけないの?」 「シャキッとして」 「はいっ」忠介《ただすけ》は反射的に、ぴしっと背を正した。 「ギギッ!?」とミュウミュウ。  そこに、 『これはこれは、兄妹仲むつまじきは、まことにけっこうにございますな』 「あ……」  陽子《ようこ》は赤面しながらテレビにむき直り、 「あの……妹の陽子です。よろしくお願いします」といって、頭を下げた。 『こちらこそ、どうぞよろしゅうお願いいたしまする』  オルドドーンは大顔に笑みを浮かべ、それに答えた。  ——地顔はちょっとこわくて大きいけど……。  いい人みたい、と、陽子は思った。  カーツがちゃぶ台に飛び乗り、 『陽子、君の主張に関しては了解した。だが、次からはもっと穏便《おんびん》に願いたいものだな!』  といいながら、首をまわし、陽子につねられた背中をぺろぺろとなめ始めた。  そして、 「あのー、陽子?」 「え、なに?」 「……もう楽にしていいですか」と、いまだぴしーっとしながら、忠介。  さて、それから—— 〈突撃丸《とつげきまる》〉は現在、地球から五光時弱の位置を航行中である、と、オルドドーンはいった。 「海王星軌道の、だいぶ外側です」と、島崎《しまざき》がいい足した。 『ただ今も、反動推進にて全速で地球にむかっておりまするが——』 「どのくらいかかるのじゃ」と、バルシシア。 『ハイパードライブの修繕《しゅうぜん》のめどが立ちませぬゆえ、最悪、六ヵ月』  バルシシアの顔に、一瞬《いっしゅん》、暗い表情が走った。不満、いや、「不安」かもしれない。バルシシアはその影をふり払うように、 「ハ、どこぞの四つ足のおかげじゃな」  といって、カーツを横目に見ながらとがった歯をぎらりとむき出し、 「いずれ八つ裂きにしてくれようぞ」 『……殿下、さようなことを、軽々しくいうものではありませぬ』  と、オルドドーンがいった。若干表情が硬い。 「ふん、毛玉一匹、なんの恐れることがある」と、バルシシア。 『殿下——』 『——バルシシア、君の参謀《さんぼう》が懸念《けねん》しているのは、つまりこういうことだ』オルドドーンの言葉を、カーツが引きついだ。『君が私を殺すことはたやすいが、その場合、私の背後にある銀河連邦政府との関係を考慮《こうりょ》して、地球人が君の身になんらかの危害をおよぼすことがあるかもしれん。不死身のグロウダインとて、敵地での長期行動において、その身の安全は確実とはいえまい』  バルシシアは思わず周囲を見まわした。  最初に目が合った忠介《ただすけ》が、 「ええ〜」といい、鈴木《すずき》にむかって「そうなんですか?」  鈴木は無言で肩をすくめた。その横では、島崎《しまざき》が困り顔で頭をかいている。  カーツはさらに、 『また、それは私にとっても同様だ。君たちグロウダインの価値観には今ひとつ理解に苦しむところがあるが——もしなんらかの理由で君が傷ついたときには、私もこの惑星も、もろともに君の配下の報復|攻撃《こうげき》にさらされるだろう。組織のリーダーをうしなったグロウダインに対して交渉はきかん。銀河に名高い「グロウダインの忠義」を、おのが身をもってたしかめることになるわけだ』  忠介が再び、 「ええ〜」といい、テレビ画面のオルドドーンにむかって「そうなんですか?」  オルドドーンは渋面のまま、わずかにうなずいた。 『そうでなくとも、状況が変化し、〈リヴァイアサン〉や〈キーパー〉がその独自の行動原理によって新たな活動を始めれば、その余波によってわれわれ全員の生命が脅《おびや》かされることになる』 「ええ〜」と忠介、ミュウミュウにむかって「そうなの?」 「ミュウ?」とミュウミュウ。 『とにかく、われわれの安全はお互いの存在とそのパワーバランスによって立つものだということを、バルシシア、君にも理解してもらわねばならん』 「……ふん」とバルシシアは横をむき、 『よくぞいうてくださった、監察官どの』と、オルドドーンはいった。『よろしければ、この場にて停戦の儀をおこないとうございますが、いかが』 『願ってもない』カーツはほおひげを立てて笑いながら『今日にも皇女殿下にひねり殺されるのではないかと、肝を冷やしていたところだ』  バルシシアがなにかいいかけたが、画面の中のオルドドーンが目をむくと、口をとがらせてだまりこんだ。  陽子《ようこ》が忠介に、小声でいった。 「……なんだか、殿下抜きだとずいぶん話が早いのね」 「なんじゃと!」とバルシシアが叫んだ。 『いやいや、それはちがいますぞ、陽子《ようこ》どの』と、オルドドーンはいった。『われらは殿下の手足となり、耳目《じもく》となり、またものいう舌となって立ち働く者。されど、心の臓なくしては、五体の働きもまたありえぬのでございます』 「はあ、えーと」と、忠介《ただすけ》。「その『心の臓』が、殿下ってことですか」 『さよう、皇族たる殿下がおられねばこの艦《かん》はまっとうな戦闘《せんとう》単位たりえず、さすればわが軍略の頭《かしら》、折衝《せっしょう》の舌もたちまちに無用の長物と化しまする』 「ははあ」忠介はバルシシアの顔を見ながら「えらいんだあ」  バルシシアは、ふふん、と鼻を鳴らした。どうやら機嫌《きげん》は直ったようだ。単純である。  さて、続いて、 『なんぞ板切れか、厚手の紙のようなものはありませぬかな』  というオルドドーンの求めに応じ、 「ええーと」押し入れをごそごそして、「これなんか、どうですか」  と忠介がもち出してきたのは、一枚の色紙だった。 「駄目《だめ》よ、そんなの」と、陽子はいった。「絵が描いてあるじゃない」  なるほど、色紙の左下のすみには、淡い水彩で描かれた小さな茄子《なす》がふたつ、寄りそうように印刷されている。それから中央のあたりに、ぼくとつとした感じの筆文字で「仲よきことは美しき哉《かな》」。 「ちゃんとしたの買ってきます」立ち上がりかける陽子を、 『いやいや、それでようござる。いや、それこそがよいのでござる』と、オルドドーンが制した。『まことにけっこう』 「はあ……」と、陽子。 『われらグロウダインの流儀においては、生き死にの交錯《こうさく》せる戦場《いくさば》にて交わされる約定《やくじょう》こそが、真に価値あるものとされまする』と、オルドドーンはいった。『そのいわれを申しますならば——そも、〈赤色巨帝〉のおんとき第二五八周期、のちの世に「銀河分け目の大戦《おおいくさ》」と謳《うた》われる「ガンドランド会戦」にてくつわを並べたる将は、まず上手《かみて》一番から〈長考将軍〉ドルドレレックス、〈眼力将軍〉ラグナズズーム、〈毒槍《どくやり》女将軍〉ミルダダレッダ、〈固太り将軍〉ファズズデナルド——』 「……長くなるぞ」と、バルシシアが小声でいった。  以下、ほんとに長いので要約。  銀河連邦とグロウダイン帝国の間に起こった幾多の武力衝突の中でも最大のひとつ「ガンドランド会戦」は、帝国領ヴォルザザザルーン星域‐連邦領ガンドランド星域間に開いた重力ゲートから攻め入らんとするグロウダイン艦隊を、銀河連邦が二六基の機動|要塞《ようさい》を始めとする圧倒的物量をもって迎撃《げいげき》、敗走せしめたというものである。  三六時間にわたって続いた会戦は結局銀河連邦の勝利に終わったが、撤退《てったい》にあたって殿軍をつとめた〈覆面《ふくめん》飛翔《ひしょう》艦隊《かんたい》〉の長、ときの皇帝の甥《おい》にあたる〈天|翔《かけ》る十字チョップ将軍〉マズズカルズ・ギルガガガントス07-13MLは、追撃《ついげき》する連邦の機動要塞に単身突入。要塞内部を破壊《はかい》しつつその中枢を目指し、途中便意をもよおして便所に立ち寄り、引きちぎった便器のふたを手に司令室に至るや連邦の指揮官に停戦を迫り、友軍の退路の安全を確保した。  停戦協定の証《あかし》としてマズズカルズ将軍の手形とともに要塞《ようさい》指揮官のサインが刻みこまれた便器のふたは、帝国にもち帰られ、ギルガガガントス家の家宝となった。  ——これがギルガガガントス家の機知と勇猛さをしめす「ガンドランドの便壺《べんつぼ》ぶた」の逸話である。ほかにも同様のエピソードに「バビレイトンの楯《たて》」、「シャムナーサの大鍋《おおなべ》」、「グレダナスの肌着《はだぎ》」などがあり、 『その当時グレダナス㈿に駐屯《ちゅうとん》していた連邦の地上部隊は、アレク・ナクア族、すなわち巨大クモというべき容姿と高度な全体主義的社会を形成する種族から構成されておりますれば、その将は当然に女王の有資格者であり、その身につけたるロイヤルクロスのたえなる輝《かがや》き、またそのしなやかさたるや——』  以下、まだまだ続くが省略。  要するに、グロウダインの価値観からすると、机上でひねくられた条約の文章より、その場のありあわせのものに両者の友好の意志を刻んだアイテムこそが上等とされる、ということらしい。それも「戦場の息吹を伝える」ものとして、ものは適当であればあるほどよい、と。  ……しかし。  この「茄子《なす》ふたつ」の色紙は、どうにも「戦場の息吹」という感じではない。  さすがの忠介《ただすけ》も、 「うーん」色紙を手にしてちょっぴりなやんだが、 『ようござる、ようござる』と大顔の人がいうので、まあいいか、と思う。  そして—— 『では殿下、手形を——』と大顔のオルドドーンがいい、 「うむ」  ちゃぶ台に置かれた色紙を前に、バルシシアは右手を広げた。ブン、と音を立て、その全身の攻撃紋に走った赤い光が、右の手のひらに収束した。手のひら全体が熱をはらみ、電熱器のように鈍く光った。  赤熱した手のひらが色紙の右半分に押しあてられると、しゅっという音とともに、うすい煙が立ち上った。バルシシアが手をはなすと、色紙の上には紙のこげる匂《にお》いとともに、きつね色のあとがのこっていた。指紋のような、あるいは電子回路のような、細かい線からできた手形だ。  続いて、忠介が右手に習字用の毛筆、左手にカーツの右前足をもって、肉球に墨汁をぺたぺたと塗りつけた。 「えーと、このへん?」 『うむ』  茄子《なす》の絵の横にぺたりとカーツの足形が押され、それから、 『では最後に、地球の代表のかた——』と、オルドドーン。  カーツの足を台ぶきんでふきながら、忠介《ただすけ》が鈴木《すずき》のほうを見ると、鈴木はその視線をあごで返した。 「え、俺《おれ》ですか?」 「まかせた」 「いいんですか、そんな適当で」と、眉《まゆ》をひそめながら、陽子《ようこ》。 「そうはいってもな」と、鈴木はいった。「地球の代表者なんて、だれが決めるんだ。国連事務総長、アメリカ大統領、ローマ法王——だれがだれに決めたって、ちがうだれかから文句が出る」 「じゃあ、おニイだって——」 「とりあえず無難なやつにしとけば、あとからいくらでも替えがきくからな」  兄を「無難なやつ」呼ばわりされて、陽子はむっとしながら、 「じゃあ、鈴木さんでいいじゃないですか。鈴木さん、前に『自分は外交官みたいなもの』っていってましたよね。こういうこと、専門なんでしょう?」  鈴木は表情も変えずに、 「俺は、今は裏方のほうが都合がいい」そういって、右手をひらひらとふった。「手もよごさんですむ」 「……ずるい」 「まあまあ、僕《ぼく》も忠介君が適任だと思いますよ」  と、島崎《しまざき》がとりなすようにいった。 「ミュウミュウの保護《ほご》者である忠介君は、いうなれば、地球上で最も重要な人物ですからね」 「はあ……」  ——なんだか、上手《うま》くいいくるめられたみたい。  陽子が口をとがらせながら忠介のほうを見ると、忠介は色紙を正面にもって、 「地球の代表……」  にへ、と笑い、後ろ頭をぽりぽりかきながら、 「照れるなあ」 「照れなくていいの」と、陽子はいった。  さてそれから、忠介は色紙をちゃぶ台の上でくるくるとまわしながら、手形を押す位置を模索した。どう押してもバルシシアのそれと重なってしまいそうな上に、絵や文字まで書いてあって、あまり余白がない。 「んんー」忠介《ただすけ》はにゅにゅにゅとなやみながら、色紙をくるくるくる。 「サインかなにかでも——」  いいんじゃない? と、陽子《ようこ》がいいかけたとき、忠介ははっと顔を上げた。なにか思いついたらしい。  忠介は左手に筆をとり、右手を拳《こぶし》に握ると小指側の面にぺたぺたっと墨を塗り、色紙の上にぺたり。 「え——ちょっと、なにやってんの、おニイ!!」 「はい?」  といいながら、忠介はさらに親指と人さし指に墨を塗り、ぺた、ぺた、ぺた——と、リズミカルな動作で色紙に模様を足していった。  カーツの足形と並んで、子供が湯気でくもったガラスに描くような、小さな足形が印された。  色紙をもち上げ、にゅい〜、と満足げに笑う忠介の背に、陽子の猫《ねこ》パンチ(強)がどしっと入った。 「はうっ」 「ギギッ!?」 「なに考えてんのよ!」  忠介は背中をよじりながら、 「え……だって、白いとこが小さかったから」われながらいい考えだと思ったんですが。 「だからって、そんな落書きみたいなの——」陽子はテレビのほうをむいて、「すいません、ちゃんとやり直します」  すると、オルドドーンは画面いっぱいの笑顔で、 『いやいや、ようござる、ようござる』  それから、やや芝居がかった口調で、 『かくのごとくして停戦の儀はあい成りますれば、みなさまがた、これよりのちは互いに争いをさけ、あい和することを、おのおのが身のほまれにかけて——』  忠介から色紙を受けとったバルシシアが、 「ふん、くそ猫め、変な足形じゃ」と毒づいた。 『……殿下!』テレビ画面が、ザザザザッ、と乱れた。  そこに—— 『むずかしいお話はおすみになりまして?』  回復した画面に、オルドドーンを押しのけるようにして、新たな人物が入ってきた。つややかな光沢を浮かべる銀色の肌《はだ》に、豊かな銀の髪をもつ美女、〈突撃丸《とつげきまる》〉の航海師、ゼララステラだ。  ゼララステラはテレビの正面のカーツに目を留めると、 『まあ、あなたが監察官さまですのね』口元に手をそえ、ふふっ、と笑い、『青くてふわふわしていて、まるで青カビの塊のよう』  カーツは耳をぱたぱたっとふり、しっぽをぱたりとちゃぶ台に打ちつけた。不満の表現だ。 『ゼララステラどの、もったいなくも一国の使者に対し——』  オルドドーンがいさめようとするところに、 「ハ、もっというてやれ」と、バルシシア。  すると、ゼララステラはバルシシアに目を転じ、 『あら、殿下も珍妙なお召しもの』  喧嘩《けんか》を売っているわけではなく、単に口が悪いのである。  ちなみに、今バルシシアが着ているのは忠介《ただすけ》のジャージである。学校指定のネーム入り。  バルシシアは口をとがらせ、ジャージのえり元をいじりながら、 「……ここではこういうのが流行《はや》りなのじゃ」  同意を求めるように視線をむけられた忠介は、 「はあ、えーと……学校じゃみんな着てますねえ」体育のときとか。  ゼララステラは再びほほほと笑い、 『まあ、へんてこ[#「へんてこ」に傍点]ですこと』 『ゼララステラどの——!』  と、大声を出しかけたオルドドーンを後ろに突き飛ばすようにして—— 『殿下、お変わりありませんか!?』 『殿下、ご機嫌《きげん》はいかがですか!?』  画面の左右からふたりの女が顔を出した。  顔つきも体格も、双子のように似ている。歳《とし》は|二〇歳《はたち》前後だろうか。肌《はだ》の色はともに、肌色がかった柔らかな銀。そして、ゼララステラをはさんで、むかって右側は金属的な青、左側はこれまた金属的な赤い髪をしている。  ゼララステラづきの従軍女官、メルルリリスとリルルメリスだ。 『まあ、すてきなお召しもの! とてもお似合いですわ、殿下!』と、青髪のメルルリリス。 『ちっとも! なんだか貧乏くさいし、丈も合っていないもの!』と、赤髪のリルルメリス。 『そんないいかた! あなたに異国の装束のなにがわかるというの!?』 『あら、私はただ、殿下にふさわしいものを身につけていただきたいだけよ!』 『差し出がましい! なにがふさわしいかは殿下がお決めになることだわ!』 『あなたこそ無責任! 殿下は故国《おくに》の体面を背負っていらっしゃるのよ!』  顔に攻撃紋《こうげきもん》を浮かべ、口角《こうかく》泡《あわ》を飛ばしていい争うふたりに、 「あの……すいません」と、陽子《ようこ》がいった。「これから、殿下にはもうちょっとちゃんとしたものを着ていただきますから——」  さすがにジャージはおざなりすぎるかしら、と思っていたのである。 『まあ! それは楽しみですわ!』 『いったいどんなお姿になるのでしょう!?』  胸の前で手を組んだふたりが、 『『きゃっ!!』』  互いに押しつけられるように、画面中央に押しこまれた。  二人の女官を押しながら、画面前方にノッポ、チビ、デブの三人組の男が飛びこんできた。 『殿下、ご無事でござるか!』と、ノッポの砲術師ザカルデデルドがいった。 『つつがなきご様子にてなにより!』と、チビの観測師ゼロロスタンがいった。 『殿下を案ずるあまり、身も細る思いでござった!』と、デブの操舵《そうだ》師ボラランダルがいった。 『吐《ぬ》かせ、肥満体!』 『そうとも、無駄《むだ》にかさばりおって! のけ! 殿下のお姿が見えぬ!』 『これ、押すな、押すでない!』 『やめんかあッ!!』[#「『やめんかあッ!!』」は本文より1段階大きな文字]  怒声とともに画面が乱れた。  二秒ほどの間があって、回復した画面には、オルドドーンひとりが映っていた。 『……いやはや、見苦しきさまをお見せいたした』 「いやあ、みんな殿下のことが大好きなんですねえ」と、忠介《ただすけ》。 『グロウダインの結束と忠誠心は遺伝子《いでんし》レベルで決定されているからな』と、カーツ。 「みな変わりないようでなによりじゃ」と、バルシシア。「ときに、アルルエンバーの姿が見えなんだが」 『ハイパードライブにつききりでございます』 「そうか、たよりにしておると伝えおけ」 『あやつも喜びましょう』 「して……ジェダダスターツはどうしておる」 『さて、そういえば——』  オルドドーンが頭をめぐらすと、ザカルデデルドが、画面横から割って入った。 『艦長《かんちょう》は「処刑場」におこもりでございますよ』 「ハ、相変わらずじゃの」 『困った男にございます』と、オルドドーンがいった。 「よい、よい」と、バルシシア。「いうなれば、あやつめは抜き身の刃のような男。ことあるまでは鞘《さや》におさまっておるのがつとめというものじゃ」 『もったいなきお言葉』  オルドドーンは目を閉じてうなずき、 『ともあれ、われら一同、火の玉のごとき思いで地球へとむかっておりますれば、今しばらくご辛抱のほどを——』 「ゆるりとまいれ。暑苦しいのがおらんでせいせいしておる」  といって、バルシシアはカカカと笑った。  その言葉が聞こえているのかいないのか、 『殿下、どうかご無事で……』  というオルドドーンの岩のような巨顔に、泣き笑いのような表情が浮かんだ。心配で心配でしょうがない、といった感じだ。これがまた、地顔がごつくてこわいだけに、面白いやらなさけないやら。 「……これ、そのような顔をするでない。みっともない」  そわそわと周囲を見まわすバルシシアの黒い顔面に、地球人でいえば「赤面」にあたる表情なのか、攻撃紋《こうげきもん》がちかちかと点滅した。  次いでオルドドーンは、一同をゆっくりと見まわしながら、 『みなさまがた、なにとぞ、なにとぞ殿下をお守りくだされ。この通り、伏してお願い申し上げまする』といって、コンソールに手を突き、深々と頭を下げた。  と——  その頭部がぽろりととれ、ガンと音を立ててコンソールの上に落ちた。 「うわ」  一同がのけぞると、ザカルデデルドにあわてて拾い上げられ、正面にむけられたオルドドーン(の顔面)は、 『この通り、この通りでござる』  頭を下げているつもりなのか、固く目をつぶって、ふんっ、ふんっ、と力んだ顔をする。 『……うむ、了解した』といって、カーツがひゅっとしっぽをふった。  鈴木《すずき》と島崎《しまざき》が、無言でうなずいた。 「あっ、はいはい、どうもどうも」  と、つられて忠介《ただすけ》も、ミュウミュウをわきに置いて、ははーっと土下座。  周囲にならってあいまいに頭を下げながら、陽子《ようこ》はバルシシアをちらりと見た。  ——「お守りくだされ」もなにも、この人が一番乱暴なんじゃ……。  バルシシアはテレビにむかって、 「ほれ、もういいじゃろう、下がれ下がれ」  その黒い顔には、なおも赤い光がちかちかちか。  通信が終わると、鈴木《すずき》と島崎《しまざき》は龍守《たつもり》家をあとにした。  帰りぎわのふたりに、 「あの、そろそろ学校に行きたいんですけど……」と陽子《ようこ》がいうと、 「もうしばらく待ってくれ」と、鈴木はいった。 「『しばらく』って、どれくらいですか」  鈴木は居間のほうへ目をやりながら、 「連中の生活が落ちつくまで、だな」 「はあ…」  それから、陽子が玄関からもどると、居間では忠介《ただすけ》が、 「うーん」とむずかしい顔をしていた。口元がにゅにゅにゅとゆがんでいる。  忠介は手をまっすぐに伸ばし、手形の押された色紙を顔の高さにもち上げて、 「……これは、『大事なもの』だよね」といった。 「そうね」と陽子。 「うんうん」  といいながら、忠介は色紙をもって、居間のとなりの六畳間に行った。例によって、腰にはミュウミュウを引っつけている。  六畳間のすみには仏壇《ぶつだん》が、その仏壇の前には経机《きょうづくえ》が置かれ、その上には果物かごがのせられている。忠介は果物かごの後ろに色紙を立てかけると、にゅい、と満足げに笑った。  チーン、と、忠介の鳴らす鈴《りん》の音を聞きながら、陽子はカーツとバルシシアにむかって、 「ごはんにしましょうか」といった。  カーツは陽子を見上げ、 『うむ、そうしてくれたまえ』  一方、バルシシアはちゃぶ台にほおづえを突き、テレビの画面に見入っている。先ほどまで通信に使われていたテレビは、今はドラマの再放送を映している。 「……殿下?」と、もう一度、陽子がいった。  やや間を置いてから、バルシシアがふりむいた。 「今、なんぞいうたか?」 「ごはんに——」陽子がもう一度いいかけると、 「ふん」といって、バルシシアはテレビに視線をもどした。 「……ちょっと」陽子が口をとがらせたところに、 「今日のお昼はなにかなあ〜」 「ミュウ〜」  忠介とミュウミュウが居間にもどってきた。  と、その忠介の横腹に、どしっ「はうっ」陽子の猫《ねこ》パンチ。  忠介《ただすけ》が横腹をさすりながら、 「え、ごめん、なに?」というと、 「……なんなのよ、もう」といって、陽子《ようこ》は台所に歩いていった。 「えーと」忠介はカーツに「なんなんでしょう?」 『さて……理解しかねる』といって、カーツはしっぽをくねらせた。  そして、そのしっぽに手を伸ばすミュウミュウから飛びのき、 『やめたまえ!』  その声に、バルシシアがちらりと視線をめぐらせ、もう一度、 「……ふん」といった。 [#改ページ] [#挿絵(img/tatumorike2_077s.jpg)入る] [#改丁] 3  『重装小隊』  さて、ところで。  二〇世紀末から深刻な定員割れを起こしつつあった陸上自衛隊が、その解決のために開始したのが「重歩計画」である。  強固な装甲によろわれ、高度な電子的情報支援を受けて行動し、重火器の大火力をもって敵軍の歩兵を圧倒する超人兵士。装甲|戦闘《せんとう》服を着用した重装歩兵の戦力は、普通科一個分隊に匹敵する——装備のスペック上はそうだ。そうでなければ(おもに事務手続き上の問題として)困るので、そういうことになっている。実際にそうであるかは問題ではない[#「実際にそうであるかは問題ではない」に傍点]。……打ち明けてしまえば、これは人員数の帳尻《ちょうじり》合わせのための方便なのである。  二一世紀の初頭に「陸自にスーパー・ハイテク戦士|誕生《たんじょう》!」とマスコミ各社に鳴りもの入りで紹介された重歩は、その直後には、軍事評論家やらなにやらに「経済性および実戦における有効性を疑問視」され、ぼろくそに叩《たた》かれることになった。 「なるほど、九人分の能力がある選手なら、ひとりで野球ができるというわけですか」——と、これは発表当時にいわれた皮肉である。  しかし、そうしたいきさつを経ながらも、重歩はいくつかの連隊で試験的に運用されつつ、普通科部隊への導入《どうにゅう》を待たれていた。最終的にはほぼすべての普通科中隊において迫撃《はくげき》砲小隊、無反動砲小隊、および小銃小隊の一部が解体され、重装小隊として再編成されるという予定だ。なにしろ、建て前上とはいえ、重歩は(装甲|戦闘《せんとう》服の運用にかかる人員/時間を計算に入れても)通常装備の歩兵の三〜五分の一の人数で同等以上の戦力となるのである。背に腹は代えられない。加えて、はた目に目立つ「ハイテク兵器」には比較的予算がおりやすいとか、装甲戦闘服の発注先が五菱《いつびし》重工になったり尾松《おまつ》製作所になったりなぜか本間《ほんま》自動車が参入したりして、その間に得をする人がいたり損をする人がいたりとか、まあなにかと事情があったのである。  ——と、これはおととしまでの話。  その後、内閣が替わったり景気が浮いたり沈んだりの一方で「新型歩兵用装備導入をめぐる汚職疑惑」が浮上してしまい、そのあおりを食らって、現在、重歩計画は棚《たな》上げの状態になっている。  長い目で見れば、大元の人手不足が解消されたわけではないので、何年かのうちに計画は再開——あるいは同種の別計画がスタート——するだろう。しかし、まだしばらくは時期が悪い……というわけで、ほんの数年前に陸自の期待の星ともてはやされていた重歩は、今は一転して日陰者の扱いとなっている。  町玉《まちたま》市に駐屯《ちゅうとん》する第五二普通科連隊、その第四中隊に設けられた重装小隊も、そんな試験的重装部隊のひとつだ。  倉本《くらもと》翼《つばさ》三等陸尉は、整備場に入る前に、まず女子トイレで自分の身なりを確認した。  洗面台の鏡《かがみ》には、しみひとつないまっさらの作業着と、短髪の童顔が映っている。まるで、子供みたいだ。  ——やっぱり、制服のままくるべきだったかしら……。  階級章のついた制服なら、まだ多少は威厳《いげん》が保てたかも——というその考えを、倉本は頭をふって打ち消した。そんな飾りものにたよってはいけない。指揮官たる者、体の内側からにじみ出る自信と経験をもって、部下からの尊敬を受けなければ。  と、そこまで考えたところで、馬鹿《ばか》らしいのを通り越して泣けてきた。  倉本は去年防大を卒業し、幹部候補生課程を修了したばかりの、いわゆる「新品三尉」である。学校での成績は優秀だったが、それはあくまで学生としての優秀さだ。人をひきいるための自信も経験もあるわけがない。そもそも、自分の外見をあれこれとりつくろうということ自体が、自信のなさの表れだ。あげくに、整備場に人を呼びにくるだけだというのに、わざわざ着替えまでして……。  ——本当に、馬鹿みたい。  なんで着替えなんかしたんだろう、と考え、すぐにその理由に思いいたった。  自分は隊の中で浮くのがこわいのだ。こわいから、部下である小隊員たちに媚《こ》びているのだ。「私は気さくな隊長さん。どうか仲よくしてください」というわけだ。  倉本《くらもと》がまかされた重装小隊は、初めて目にしたときから、どこかこちらをうかがうような空気をただよわせていた。ここ二年ばかり、汚職事件をめぐる政治的理由から「しばらく目立たないようにしていろ」との命を繰り返し受けていた彼らは、上層部への信頼感をすっかりうしなっていたのだ。うつろな目に、ものいいたげな口元。ぴかぴかの新任隊長などはお呼びでない、そんな雰囲気だ。映画によくあるような「愚連隊」とか「はみ出し者の集まり」などというほどではないが、それをいえば自分だって、彼らの根性を叩《たた》き直すような「熱血隊長」などではない。  通常の基礎《きそ》訓練に加え、装甲|戦闘《せんとう》服の整備および操作の熟練《じゅくれん》、重歩を中核とした戦術の模索とその訓練——小隊としてこなすべき仕事は山ほどある。しかも、他《た》の職種のように長い年月を経てマニュアル化された職務ではない。いまだ試行錯誤《しこうさくご》を求められる段階だ。  ……が、倉本が前任の小隊長から引きついだ通りに、あるいは自らの発案をもとに指示を出すとき、それを受ける隊員たちの表情には、ほんの一瞬《いっしゅん》、微妙な表情が浮かぶ。  ——こんなことを、やってどうなる。  もちろん、そんな言葉を口に出しはしない。明確にそう思っているわけですらないだろう。だが、感情が言葉にされる直前の、もやもやとした気配のようなものは、彼らの言動のはしばしにこびりついている。少なくとも、倉本にはそう見える。  ——どれだけ懸命《けんめい》に訓練をしたところで、上の人間の都合次第、ハンコひとつでなかったこと[#「なかったこと」に傍点]にされる仕事ではないか……。  あるいは、そう思っているのは倉本のほうかもしれない。倉本自身のそうした思いが、ありもしない「不満」を、隊員たちの態度の中に見いだしているのかもしれない。  半年前、自分の配置先が「重装小隊」であると聞いて思わず怪訝《けげん》な顔をする倉本に、指導《しどう》教官は、 「今は状況が状況だが、重歩はいずれわが国の防衛計画のかなめとなる職種だ。柔軟な発想をもつ若い人間にこそ、これをひきい、経験を高めておいてもらいたい」といった。  見事なまでの美辞麗句《びじれいく》だ。  たしかに、教官の言葉の半分は本心だろう。通常の歩兵とも、戦車や装甲車とも異なる特性をもつ重装部隊の運用には、他《た》の職種のセオリーにしばられていない若手の指揮官が適している。だがその一方で、海のものとも山のものともしれない部隊に、わざわざ使える[#「使える」に傍点]人間をあてることはない——という思惑が働いたのだ、とも考えられる。多分その両方なのだろう、と倉本は思う。上司も部下も、だれひとりとして、自分になにかを期待したりはしない。  自分に自信がないのに、隊員に発奮《はっぷん》をうながす覇気《はき》があろうはずもない。倉本はいつしか、小隊の雰囲気に引きずられるように、日々の職務をただ機械的にこなすようになっていた。  ……ふと気がつくと、倉本《くらもと》は洗面台の前で、右の眉《まゆ》のはしをつまみ、よじっていた。考えごとをするときのくせだ。  倉本はもう一度、鏡《かがみ》にむかって顔を上げた。鏡の中には、子供じみた、すねたような顔が映っている。泣き出しそうに見えるのは、左目の下の泣きぼくろのせいだ(……ということにしておく)。また、整った顔つきの中、眉だけが、まるで書き足したように太い。自分ではかなり気にしていて、高校のころはこまめに毛抜きで形を整えていたのだが、ここ数年はそうしたひまもなく、自然に伸ばしたままだ。  先日、久々に会った高校時代の同級生に、この眉毛を指さして笑われた。 「やだ翼《つばさ》っち、なにその眉毛!」 「そりゃやっぱ、自衛隊の訓練ってキビシイから」 「理由になってない、なってない! 眉毛がもりもり生える訓練って、ソレどんなのよ!?」  押し合いながらきゃらきゃらと笑う友人たちは、ある者はOL、ある者は学生として、ごくありふれた青春を謳歌《おうか》している。なんだかなつかしいような、それでいて、ひどく場ちがいなところにきてしまったような複雑な気分をおぼえながら、倉本はもじもじと身動きした——  そんなことを思い出していると、両目から、不意に涙がこぼれた。倉本はあわてて顔を洗い、腰に下げていたタオルで顔をぬぐった。  トイレから廊下に出ると、通りかかった陸曹《りくそう》が敬礼した。答礼を返したのち、倉本は大きく深呼吸をし、背筋を伸ばして廊下を歩き始めた。  倉本が格納庫に入ると、入り口近くにいた何人かの小隊員が、作業の手を止め、倉本に敬礼した。四方に答礼を返しながら、倉本は格納庫の奥にむかった。まだ答礼をどのくらい丁寧にしたらいいのか、よくわからない。軽薄《けいはく》に愛想をふっているように見えてしまわないだろうか……。  庫内は軽油と焼けた金属の匂《にお》いに満ち、発電機とモーターのうなりと大きなかけ声が、そこかしこから聞こえている。中隊|検閲《けんえつ》を明後日にひかえ、装備の一斉《いっせい》点検がおこなわれているのだ。  壁《かべ》ぎわに一定間隔を置いて立てられた支持架に、それぞれ一台ずつの機械がついている。多くは支持架に固定され、のこる一部は鉄板を打った床に自立している。  重歩を重歩たらしめる装備品、00[#「00」は縦中横]式装甲|戦闘《せんとう》服だ。  全高二二〇センチ。全備重量約五〇〇キロ。暗緑色に塗られた機体は、冷蔵庫が武骨な手足を生やしたような形をしている。まるで鉄板でできた宇宙服、いや、ロボットのようだ。子供のオモチャで、車や飛行機が変形してロボットの形になるものがあるが——七歳になる甥《おい》が、よくそんなもので遊んでいる——戦車や装甲車がロボットになったらこんな感じだろうか、と倉本《くらもと》は思う。  俗に、00[#「00」は縦中横]式を着用した重装歩兵は「人間戦車ともいうべきスーパーマン」となる、といわれている。が、これはあくまで公報用の表現。実際には、せいぜい「のろまの鉄ゴリラ」といったところだ。  たしかに、00[#「00」は縦中横]式の装甲は拳銃《けんじゅう》や小銃などに対しておおむね有効である。また、そのパワーアシストおよび火器管制機能つきの外骨格《フレーム》は車載用クラスの重火器の個人による携行を可能とする。  だが、致命的な欠点がひとつある——00[#「00」は縦中横]式は足が遅いのである。  00[#「00」は縦中横]式の最高速度は時速四〜五キロ、人間の歩行速度にほぼ等しい。走ることはできない。00[#「00」は縦中横]式のオートバランサーは一定以上の重心のずれを許さないからだ。  これには至極もっともな理由がある——00[#「00」は縦中横]式は転ぶとあぶないのである。  重量五〇〇キロの鋼鉄の甲冑《かっちゅう》を着て転ぶことを考えてほしい。外骨格構造ゆえ機体の重量こそかからないが、まともな受け身はとれず、着用者はショックでしばらく行動不能になる。また、転んだ拍子に制御系が故障して、戦場のど真ん中で立ち往生、ということも充分に考えられる。  それゆえに、00[#「00」は縦中横]式はまるで氷の上を歩くように、および腰[#「および腰」に傍点]でひょこひょこと歩く。また、火器の使用に際しては、地にひざを突いた射撃姿勢をとることが運用規定に定められている。発射の衝撃《しょうげき》で転ばないようにするためだ。  現代の超人兵士、重装歩兵。その合言葉は「足元に気をつけて転ばずに歩け」だ。  つまるところ、00[#「00」は縦中横]式は戦車の代わりにも、歩兵の代わりにもなるものではない。せいぜい「自分でのこのこ歩く銃座」といったところだ。まあ、あまり多くを期待しなければ、これはこれで使い道はある。例えば、00[#「00」は縦中横]式はちょっとした貨物|運搬《うんぱん》や災害救助の場面ではたいへん重宝する。実際、超小型のクレーンと考えるならば、そこそこよくできたものだといえる。それもそのはず、00[#「00」は縦中横]式のフレームは、もともと施設科用装備として考案されたものを流用して作られているのだ。  歩兵用装備である00[#「00」は縦中横]式の点検は、基本的に使用者本人、あるいは二人組《バディ》の単位でおこなわれる。ある者は四肢《しし》のモーターをウインウインと鳴らしながら「00[#「00」は縦中横]式体操」と呼ばれる制御・駆動系チェックをおこない、またある者は射撃姿勢をとり、腕部および背部にマウントしたダミー火器のインジケーターを点灯させて火器管制システムをチェックしている。無人のまま立たせた00[#「00」は縦中横]式をふたりがかりで押したり引いたりして、バランサーのチェックをしている者もいる。そうした基本的な点検がおこなわれる合間を縫《ぬ》うようにして、専任の整備班が駆けまわり、問題の生じた機体に対する、より詳細なチェックの指示や、機体の調整をおこなっている。  ——身長二・二メートルの鋼鉄の巨人と、作業着姿の隊員たちが「共存」している……。  そんな異世界にまぎれこんでしまったような錯覚《さっかく》に、倉本《くらもと》は軽い目まいと不安をおぼえた。ここは自分がいてもいい[#「いてもいい」に傍点]場所なのだろうか……?  と——  倉庫の最奥に近いあたりで、ひそひそと話し声が聞こえた。 「……オタ、もっとパイオツでかくしろよ、パイオツをよ」 「オタっていうのやめてくださいよ」 「いいからちょっと貸してみ、ほら」 「あっ、駄目《だめ》ですってば、もう……」  見れば、ふたりの隊員が、一機の00[#「00」は縦中横]式のわきについて、その装甲の表面をのぞきこんでいる。  茶髪、長身の男は第一重歩班の寺山《てらやま》和臣《かずおみ》三曹《さんそう》。もう片方の、眼鏡《めがね》をかけていて背が低いのは整備班の小田切《おだぎり》拓也《たくや》一士だ。この二人はうまが合うらしく、よくつるんではしようのないいたずらをしている。 「寺山三曹」と、倉本はその背に声をかけた。 「あ?」  とふり返った寺山は、倉本の姿を認めると、背筋を伸ばし、かかとを鳴らして敬礼した。 「……はっ、なんでしょうか小隊長」  そういいながら寺山は、合わせて敬礼をしている小田切の小柄な体を押しのけるように、じり……と、不自然に体の位置をずらした。00[#「00」は縦中横]式の前面装甲の一部、ふたりが先ほどまでなにか細工していた部分を、隠す形だ。  が—— 「……寺山三曹、一歩右へ」  倉本の命令に、寺山は目をそらしながら、そろりと動いた。  寺山の背後に現れたものを見て、倉本は眉《まゆ》をひそめた。  00[#「00」は縦中横]式の暗緑色の装甲面に、航空機のノーズアートのような絵が描かれている。白銀の甲冑《かっちゅう》を着た、いや、脱ぎかけた少女。きわどいところは隠れているが、甲冑の下にはなにもつけていないようだ。まだ描きかけで、目鼻や細部ははっきりしていない。塗りたてのペンキの匂《にお》いがする。 「あの、これは……」と、小さなペンキ缶《かん》と筆を手にした小田切が口ごもった。  倉本は迷った。これにはどう対処したものだろうか。厳格《げんかく》に処分を下すべきか、それとも、この程度の遊びは鷹揚《おうよう》に許すべきなのか。  感情にしたがうならば、今すぐ刷毛を手にとって、こんな絵は塗りつぶしてしまいたい。ただでさえ、今の自分には余裕がない[#「今の自分には余裕がない」に傍点]のだ。へらへらと遊びにかまけているこのふたりを、憎らしいとさえ思う。  ふと、寺山の顔に、にやけた笑いが浮かんでいることに気がついた。寺山は、敬礼の形にかまえたままの右手の指先で、右眉のはしをいじっている。  倉本《くらもと》は自分が無意識に眉《まゆ》をさわっていることに気づき、さっと手をはなした。それから、寺山《てらやま》の顔を見上げ、口を開いた——が、なにをどういったらいいのか、わからない。  顔を赤くし、大きく息を吸ったまま止まってしまった倉本にむかって、寺山はまじめな顔を作り、もう一度背筋を伸ばした。 「この図案に関しては、後日完成したものを見ていただき、隊長のご判断をあおぎたく思います! いかがでしょうか!?」 「……いいでしょう」  倉本は大きく息をつき、 「ただし、続きは勤務時間外にするように」といって、きびすを返した。  内心、即断を求められなかったことにほっとする。 「はっ」 「はい!」  倉本はふたりの声を背に歩き始めた。  ……が、数歩あるいたところで、ぴたりと足を止め、 「寺山|三曹《さんそう》」といってふり返った。  再び「甲冑《かっちゅう》少女」の絵をのぞきこんでいた寺山と小田切《おだぎり》は、くるりとふり返りながら、そろって敬礼した。  倉本は顔をしかめながら、 「……手力《たぢから》班長はどちらに?」 「はっ、便所に行っております」 「ではあなたがたに聞きます」  倉本は、かたわらに背をむけて立つ、もう一機の00[#「00」は縦中横]式の背に手を突き、 「……これはなんですか」 「はっ、班長の00[#「00」は縦中横]式であります」と、寺山が答えた。 「それはわかっています。この肩はなにかと聞いてるんです」と、倉本。  手力機の右肩の装甲カバーは、血のような赤に塗られていた。 「あ、それは……」と、小田切はいった。「……その、手力曹長の機体には一部特殊な調整がほどこしてありますので、その、目印に……」  そこに、 「小田切君はこれを『レッドショルダー・カスタム』と称しております!」と、寺山がいった。 「あっ、余計なこといわないでくださいよ、もう」と、小田切が小声でいった。 「……寺山三曹、小田切一士」  倉本は慎重に言葉を選びながら、 「装備品に愛着をもつのはけっこうですが、同時に、00[#「00」は縦中横]式は国民の血税によってあがなわれた公共物であるということも、つねに心得ておいてください」といった。  毅然《きぜん》とした面もちの奥、倉本《くらもと》の内心は不安にゆれている。  ——このいいかたでいいんだろうか。余計な反感を買ったりしてしまわないだろうか。  年上の寺山《てらやま》はもちろん、まだ|二〇歳《はたち》の小田切《おだぎり》でさえも、現場歴は自分よりずっと長い。……というより、彼らにとって、自分は現場にひょっこり現れたよそ者にすぎないのだ。こんな形でしかりつけたからといって、聞くものではないだろう。  ——だからといって、装備の私物化を野ばなしにしておくわけにもいかないし……。  いまだ迷い続ける倉本にむかって、 「はっ、もうしわけありません! ただちに塗り直します!」と、寺山はいった。 「え…」と、小田切がいった。  今しがた「甲冑《かっちゅう》少女」の件を押しきった寺山が、今度はやけに素直なことをいっている。  小田切は寺山の顔をそっと見上げた。寺山の横顔の口のはしが、ほんのわずか、にやけた笑いを浮かべている。なにかたくらんでいる顔だ。  しかし、倉本はそれに気づかなかったようだ。ほっとした表情を浮かべながら、 「そうしてください」  といって、肩の力を抜いた。笑うといい顔になる。  ついでに足の力が抜けたのか、倉本は手力《たぢから》機にもたれかかる形で、そのバックパックにとん[#「とん」に傍点]と背をついた。 「あっ、駄目《だめ》です!」と、小田切が叫んだ。 「え……?」  ウイン……と音を立てて手力機の足のモーターが動き、無人の機体が一歩前に踏み出した。 「きゃあっ!?」  ささえをうしなった倉本が、床に尻《しり》もちをついた。  カシュッ、カシュッ、と、意外と軽い音を立てながら、手力機は歩き始めた。前方につんのめるような格好で、その歩調がだんだん速くなっていく。  カシュ、カシュ、カシュ、カシュシュシュシュ—— 「やばっ——おおい! あぶねえぞお!!」  と叫びながら、寺山は手力機を追って駆け出した。 「なんなの、いったい……」と倉本がいうと、 「あの、その……あの機体は、その、バランサーがまだ調整中で……」と、小田切がいった。  カシュシュシュシュシュ——  手力機は工具箱をけちらし、他《た》の00[#「00」は縦中横]式を突き飛ばして、格納庫の入り口にむかって一直線に走っていく。そのまま庫外へ駆け出していこうという勢いだ。通路にいた隊員が、わらわらと避難《ひなん》した。  と——  入り口に、ひとりの人影が現れた。  作業ズボンにタンクトップ姿。身の丈二メートルの、浅黒い筋肉の塊のような体格。太い首の上にちょこんとのった角刈りの頭部は、麻雀《マージャン》牌《パイ》のように四角く、小さい。  第一重歩班班長、手力《たぢから》隼人《はやと》陸曹長《りくそうちょう》、三二歳。  高校卒業後に陸上自衛隊に入隊、陸士時代に柔道国体で三度優勝。陸曹試験に合格し三等陸曹に昇進した直後にレンジャー教育課程を受け、その後幹部候補生に選抜され、二八歳で三等陸尉となった。——と、ここまではとんとん拍子の経歴だが、三年前におこなわれた日米合同演習の際に、非番の米軍人と乱闘《らんとう》騒《さわ》ぎを起こし将校を含む七名を負傷せしめ、陸曹長への降格を受け現在に至る。  のちに本人が述懐《じゅっかい》するに、 「いや、なぐりかかってくるので、とっさにつかんで投げたら足元がコンクリだった。悪いことをした」  まあ、その経歴はさておき——  隊員のひとりの、 「あぶない!」  という声に顔を上げた手力の目が「む!?」突進する00[#「00」は縦中横]式の姿をとらえた。すでに距離は三メートルほどに詰まっている。  勢いのついた半トンの鉄塊が手力の体をはね飛ばしたかと思われた、その瞬間《しゅんかん》——  手力は00[#「00」は縦中横]式のふところに踏みこみながら、胸部に設けられた運搬《うんぱん》・固定用のバーをつかみ、それを強く引きながら身をひねり、腰を落とした。 「ふッ!」  手力が気合《きあい》とともに腰をはね上げると、00[#「00」は縦中横]式の機体が宙に舞い、そして、ゴオン、と音を立てて床に叩《たた》きつけられた。背負い投げだ。  00[#「00」は縦中横]式はゴトンと横ざまに倒れると、かたかたと足を小刻みに動かし、やがて静止した。  近くにいた隊員たちが、工具を放り出して駆け寄った。 「曹長!?」 「大丈夫か、タヂさん!?」  口々に叫ぶ彼らに割って入った寺山《てらやま》が、 「なにも投げなくても……」と苦笑半分にいった。もちろん、並みの人間なら押しつぶされている。  手力はほこりを払いながら立ち上がり、 「いや、ついとっさに、な」 「あの……お怪我《けが》は!?」  と、遅れて駆けてきた倉本《くらもと》がいうと、手力《たぢから》はびしっと敬礼をして、 「はっ、視察お疲れさまです! 自分は無傷であります!」 「班長は戦車にひかれたって平気っスよ」と、寺山《てらやま》が笑った。  倉本はほっと息をつくと、姿勢をあらためて、 「……手力|曹長《そうちょう》、ちょっとよろしいですか?」といった。  倒れた00[#「00」は縦中横]式を引き起こしていた手力が、 「はっ!」といって、バーをもっていた手をはなした。  再び前のめりに歩き出す00[#「00」は縦中横]式をあわてて引き留め、引きずられながら、 「ちょちょちょ、班長、班長!」と、寺山がいった。 「うむ、あとはたのむ」といって、手力は倉本のあとについて格納庫から出ていった。 「おおい、だれか手伝ってくれ!」と、寺山が悲鳴を上げた。  そして—— 「オーライ! オーライ!」  と先導《せんどう》を受けながら、一機の00[#「00」は縦中横]式が、手力機の胸部のバーをもってゆっくりと後ろむきに歩いていく。  その横について歩く寺山に、小田切《おだぎり》が話しかけた。 「倉本三尉、またタヂさんにお小言ですか。……悪いことしちゃいましたね」 「ま、隊長ドノも、まだ慣れなくて、いろいろと不安なんだろ」寺山はにやりと笑い、「班長に甘えたいんだよ」 「は? ……ああ、ははあ」  いわれてみれば、倉本三尉がなにかと手力曹長を呼び出すのは、小隊の運営などについて、個人的に相談するのが目的なのかもしれない。経験的にも人格的にも、手力曹長は相談役に適任だろう。  なるほど……と思いつつ、小田切は寺山の横顔を見上げた。  ——一見、無神経に見えるけど……。  寺山三曹は人を見る目に鋭いところがある、と小田切は思う。  しかし、その一方で、 「だから俺《おれ》はこうやって、せっせときっかけを作って差し上げてるわけだ。俺って上官思いのいい部下だよなあ、オタ!」  そういってにたにたと笑う寺山を見て、  ——やっぱり、単に人が悪いのかもなあ。  とも思うのであった。  小隊長室に入ると、倉本はまず、手力に椅子《いす》をすすめた。 「はっ、失礼します」  といって、手力《たぢから》は椅子《いす》に腰かけた。ひざに手を置き、背筋を垂直に伸ばす。まるで尋問を受けるような姿勢だ。 「どうぞ、楽にしてください」と倉本《くらもと》がいうと、 「はっ」  手力はわずかに上体を前にかたむけた。これが「楽な姿勢」ということらしい。  倉本は少し迷いながら、デスクの後ろから椅子を引っぱり出し、手力の正面に腰かけた。これからするのはデスク越しの「公式な話」ではない、ということだ。 「あの、今日お呼びしたのは……」 「はっ、また寺山《てらやま》がなにか?」 「いえ……」と、倉本はいった。  いつもなら先ほどの00[#「00」は縦中横]式の塗装の話などが出るところだが、今日はもっと重大な用件がある。  倉本は、どこから話そうか、と逡巡《しゅんじゅん》したのち、 「……昼前に、中隊長に呼ばれました」といった。 「はあ、あの新任の」  ——というのは、倉本の重歩小隊が所属する第四中隊の隊長、神谷《かみや》誠《まこと》一尉のことだ。倉本もまだこの隊にきて日が浅いが、神谷はほんの三日前に赴任したばかりである。 「ええ」と、倉本はいった。「手力|曹長《そうちょう》……手力さん」 「はっ」  倉本は身を乗り出しながら、 「……中隊長のこと、どう思われます?」といった。 「はっ、たいへん優秀なかたであると聞いております。自分も、そう思います」  中隊|検閲《けんえつ》の直前というこの時期に急病で退任した前中隊長に代わり、急遽《きゅうきょ》赴任した神谷一尉は、その日のうちに引きつぎ作業をすませ、中隊を掌握《しょうあく》し、演習の準備を進めていた。手力の目から見ても、あざやかな手並みだ。 「それに——」手力は屈託《くったく》なく笑い、「いい男ですな。若い娘はほっておかんでしょう」 「いえ、そういう話ではなくて」 「は、倉本三尉はああいうのはお好みではありませんか」 「好みとか、そういう問題ではなく……」と、倉本はいった。表情が真剣だ。「人間的に、信頼がおけると思いますか?」 「は……どういうことでしょうか」と、手力が怪訝《けげん》な顔をした。  倉本の台詞《せりふ》は、受けとりようによっては、相当に不穏なものだ。建て前上であれ、上官に対する信頼を前提にしなければ、中隊の、いや、自衛隊の組織そのものが成り立たない。  倉本はデスクから一枚のクリップボードをとり上げ、手力に手わたした。 「明日、弾薬庫から以下のものを受けとるようにいわれました」 「は…?」  手力《たぢから》はクリップボードにはさまれた書類をめくった。  七・六二ミリ普通弾および徹甲《てっこう》弾、迫撃《はくげき》砲用八一ミリ榴《りゅう》弾、八七式対戦車|誘導《ゆうどう》弾—— 「……実弾演習とは聞いていませんが」 「ええ、そうではありません」  と、倉本《くらもと》はいった。顔が青ざめている。 「——実戦だそうです」  三時間前、中隊長室にて—— 「実戦……ですか」  なにかの聞きちがいだろう、と、倉本は思った。だが、その男は深くうなずき、 「その通りだ」といった。  神谷《かみや》誠《まこと》一等陸尉。  年齢はまだ三〇前。俳優といっても通りそうな色白の整った顔は静かな自信に満ち、眼鏡《めがね》の奥の灰色がかった目は、不安も緊張も、かけらも表してはいない。ただすずしげにほほえむばかりだ。  神谷は言葉を続けた。 「昨夜、百里《ひゃくり》にスクランブルがかかったことは知っているね?」 「はい、レーダーの誤作動が原因と聞いています」と、倉本は答えた。 「ところが、そうではない」と、神谷はいった。「国籍不明機《アンノウン》の侵入は、たしかにあったのだ」 「……はあ」 「だが、発進した機は追跡半ばにして帰投命令を受け、不明機の存在自体がもみ消された。なぜだと思う?」 「は……なぜでしょう」  と、倉本は答えた。漠然《ばくぜん》と、なにか異常なことが起きているらしい……とは思うものの、とっさには思考が追いつかない。 「空自の指揮系統に、なんらかの介入があったのだ——空自だけではない。政府レベルでの隠蔽《いんぺい》工作がおこなわれている。巨大な見えざる手が、今まさに、われわれののどをしめつつあるのだ」 「はあ……」 「信じられない、といった顔だね」と、神谷はいった。「そもそも、私がなぜ空自の内情などに詳しいのか、そこが腑《ふ》に落ちない——そうだね?」  神谷はデスクの上で手を組み、ほほえんだ。  カリスマ、というのは、こういうもののことをいうのだろう。輝《かがや》くような笑みに、倉本《くらもと》は思わずうなずいていた。なにをいわれても納得してしまいそうだ。  だが—— 「われわれは、自衛隊の指揮系統が敵[#「敵」に傍点]に完全にブロックされる前に、実行力を確保しておく必要があった。そのために、私は第四中隊《ここ》にきた」 「敵」という言葉のひびきが、倉本に冷や水をかけた。 「『敵』——『敵』とは、いったいなんですか」 「敵は、地球外知性体だ」と、神谷《かみや》はいった。  再び現在—— 「チキューガイチセータイ、でありますか」  と手力《たぢから》はいい、それから、うんうん、とうなずいて、 「そうですか」といった。 「……意味、わかってますか?」と、倉本はいった。 「いえ、自分は朝鮮語はわかりませんので」と、手力。 「日本語です」 「はっ、これは失礼しました。……どういった意味でありますか」 「それは、その……」  倉本は言葉をにごした。自分はひどくおかしなことをいおうとしている。  しばらく言葉をさがしたのち、倉本は結局、一番わかりやすい表現を選択した。 「……宇宙人、ということです」 「はあ」さすがの手力も、狐《きつね》につままれたような顔をした。「……宇宙人、でありますか」 「中隊長のお話では、すでに宇宙人の先遣部隊が地球に、それも日本国内に侵入しているとのことです。そのため、近く交戦の可能性があると——」  倉本はそこまでいうと、声を低くしながら、手力に顔を近づけた。 「……どう思います? 中隊長は本気でいっていると思いますか? あるいは、その……」 「正気[#「正気」に傍点]でいっているのか、ということでありますか」 「ええ……」  常識で考えれば、そんなことがあるわけがない。だが、ただのたわごとにしては手がこんでいる。神谷一尉は、確信をもって実戦への準備を進めているようだ。  自分はいわば「安全装置」なのだ、と、神谷一尉はいっていた。指揮系統の攪乱《かくらん》等の工作を受けた際に実行部隊が無力化することをふせぐために、自分のような人間が用意されているのだ、と。  そんな話は聞いたことがない——と、倉本がおそるおそるいうと、神谷はこう答えた。 「『敵』がその姿を容易に見せないように、われわれ[#「われわれ」に傍点]もまた、隠密性を要求されているのだ」  胡散《うさん》くさいといえば、胡散くさいことこの上ない。だが、神谷《かみや》の存在感と実務能力が、この話に妙な説得力を与えている。神谷自身はどういう根拠によるのか、倉本《くらもと》が自分に逆らうとは露《つゆ》ほども考えていないようだ。  この状況は、倉本の理解を超えている。いったいなにを信じたらいいのかわからない。  ……手力《たぢから》曹長《そうちょう》なら、どう判断するのか。それが聞きたかった。  だが—— 「自分には、わかりません」あっさりと、手力はいった。「それは現場の判断の枠を超えます」 「でも……」倉本は太い眉《まゆ》をひそめた。  たしかに、手力のいうことにも一理ある。上官の命をいちいち疑っていては、いざことにおよぼうというときに、組織自体が動けなくなってしまう。  だが、手力はこんな突拍子もない話を聞きながら、なぜ平然としていられるのだろう……。  倉本の疑念に答えるように、手力はいった。 「もし、宇宙人なるものが中隊長の妄想の産物ならば、なやむことはありません。あとで笑い話になるだけのことです。また、もし本当に『宇宙人としかいいようのないもの』が国内にいるとするならば——」  手力は一旦《いったん》言葉を切り、顔を引きしめた。 「兵卒は、作戦行動においてはよき道具に徹《てつ》するべきだと、自分は考えています。宇宙人と戦えといわれるのならば、戦うのみです。また、宇宙人に対して外交使節を差しむけるか、武力を差しむけるか、それは上の人間の決めることです。どのような形であれ、もし決定が下されたなら、それが最善の策なのだと自分は考えます。それに——」  四角い顔が、太陽のような笑みを浮かべた。 「わが隊は優秀です。相手が怪獣《かいじゅう》だろうが宇宙人だろうが、決してひけをとるものではありません」 「あ…」倉本は気がついた。  自分と手力を分けるもの、それは、隊と自分自身への信頼なのだ。  たとえなにが起こっても、自分たちは上手《うま》くやれる——手力は、本気でそう考えているのだろう。 「……そうですね」と、倉本はいった。「すみません。私が一番落ち着いていなければいけないのに、おろおろしてしまったりして……これじゃ、隊長失格ですね」  神谷一尉に対する得体のしれない不安はまだぬぐいきれない。しかし……。  自分は手力と、自分の隊を信じよう——と、倉本は思った。  そして——  自分が隊員に状況を説明しよう、という手力に、 「いえ、それは私が」  といって、倉本《くらもと》はほほえんだ。 「……私の隊ですから」  それから、倉本は手力《たぢから》の先に立って格納庫にもどった。  庫内ではすでに、かなりの数の00[#「00」は縦中横]式が、点検作業を終えて支持架に固定されている。  倉本は、その中の一機に目を留めた。庫内の奥まったところに固定されたその00[#「00」は縦中横]式を見上げ、 「……これはなんですか」と、倉本はいった。  倉本のわきに気をつけをしながら、寺山《てらやま》が答えた。 「はっ、手力班長の00[#「00」は縦中横]式であります」  寺山が「塗り直す」といった手力機は——たしかに、その言葉にいつわりはなかった——今度は、全身を血のような赤に塗りたくられていた。  呆然《ぼうぜん》と立ちつくす倉本の後ろで、 「ほう、ずいぶん派手になったな」と、手力がいった。 「あの、僕《ぼく》は止めたんですけど……」と、小田切《おだぎり》が小声でいった。  そこに、 「小田切君は『これで、この機は通常の00[#「00」は縦中横]式の三倍はイケる』といっております!」と、寺山。 「いってません! そんなこといってませんよ!」と、小田切。 「……寺山|三曹《さんそう》」  倉本はやっとのことで、それだけをいった。声がふるえている。それから、しゃっくりのような深呼吸を三回したのち、口元をきっと結んで寺山の顔を見上げた。  寺山は眉《まゆ》のはしをいじりながら、にやにやと笑っていた。  倉本の目から、ぽろぽろっ、と大粒の涙がこぼれた。 「…あ」  寺山の顔から、にやけた笑いが消えた瞬間《しゅんかん》——  ばしん、と大きな音が庫内にひびいた。 「つおぉ……」  と、倉本の平手打ちが決まったほおを押さえてもだえる寺山を背後に、倉本はきびすを返し、かつかつと足音を立てながら、格納庫を出ていった。 「おーい、寺山ぁ」  隊員の中から、声が上がった。 「泣かすなよ、翼《つばさ》ちゃんを」 [#改ページ] [#挿絵(img/tatumorike2_108s.jpg)入る] [#改丁] 4  『山吹色の、菓子にございます』  その日の午後——  忠介《ただすけ》は縁側でカーツにブラシをかけていた。  はたはたと風にはためく洗濯物《せんたくもの》の下、ふふんふんふーん、と鼻歌を歌いながら、お湯で絞ったタオルでカーツの全身をマッサージするようにふき、湿った毛を頭から尾や四肢《しし》の先にむかってラバー製の猫《ねこ》ブラシでくしけずる。  何分かして、全身にまんべんなくブラシがかかり、 「はい、すみました」と忠介がいうと、 『うむ、ごくろう』  カーツは日だまりに移動して、てろっと横になった。そして、目を閉じて、ほおひげをなでる風の感触と、その匂《にお》いを楽しんだ。じつに快適だ。  忠介は猫ブラシに溜《た》まった毛を掃除すると、今度は人間ブラシを手に、ミュウミュウの髪をふふんふーん。それに合わせてミュウミュウが、くるる、るるる、る……と節をつけてのどを鳴らす。  ピンポーン、と、玄関のチャイムが鳴った。  廊下で、陽子《ようこ》がぱたぱたと玄関にむかう音がした。  客は陽子の同級生の美咲《みさき》だった。陽子がここ数日学校を休んでいるので、学校帰りに様子を見にきたのである。  が—— 「わ、すごい! なにこの人!? 超・ガン・グロ!!」  美咲は居間にいるバルシシアを見るなり、鞄《かばん》を放り出して駆け寄っていった。  ちなみにバルシシアは昼食のあと、『笑っちゃってTV』を見て『ごきげんスタジオ』を見て『ワイド2‐3』を見て、今は『暴れ将軍ぶらり旅(再)』を見ているところである。よほどテレビが気に入っているらしい。  ちゃぶ台にもたれほおづえを突いたバルシシアのつややかな黒い顔が、ブラウン管の光をちらちらと反射している。  で、 「さわっていい!? さわっていい!? わっ、なんか硬い!?」  だれもなにもいわないうちに、美咲はバルシシアのほおをぺたぺたとさわり、次いで、背中にべたりと貼りつきながら右手を前にまわし、 「キャ〜ッ! おっぱいも硬ぁ〜〜い!!」うれしそう。  と——  美咲の顔が、バルシシアの手にがしりとつかまれた。バルシシアは美咲をぐいーっと引きはがしながら陽子をふり返り、 「……なんじゃ、こやつは?」 「その……ごめんなさい、こういう子なの」と、陽子。  美咲は肩をすくめて「うっしゃっしゃ」と笑い、 「こういう子なのでいす」といった。 「ふん」バルシシアはテレビに視線をもどし、 『野郎、おぼえてやがれ!』と、テレビの中のちんぴらがいった。  続いて美咲は、今度は陽子にむかって、 「ね、ね、あの人なに、あの人なに!?」 「えっと、その……」  陽子は口ごもった。「宇宙人のお姫さま」なんて、いいたくない。  そこで、 「あの……外国の人……お父さんの仕事の関係で……」  と、あたらずとも遠からずの線に落ちつけようとすると、美咲《みさき》はさらに、 「外国ってどこ? インド? インド?」黒けりゃみんなインド人か。 「えっと……」  と、そこに——  ピンポーン、とチャイムが鳴り、 「あっ、お客さん」  陽子《ようこ》は玄関にむかってぱたぱたと駆けていった。  ドアを開けると、学生服のふたり組が立っていた。忠介《ただすけ》の同級生の憲夫《のりお》と清志《きよし》。チビでくせっ毛が憲夫、ノッポで眼鏡《めがね》が清志である。 「お…」  憲夫は陽子の顔を見ると一瞬《いっしゅん》たじろいだ。去年の春、初めて龍守《たつもり》家を訪れたときに、「なんか食うもんねーかあ?」といって勝手に冷蔵庫を開けてけりを入れられて以来、憲夫は陽子のことが少々苦手である。  憲夫はちょっと呼吸を整え、やや上目づかいに、 「……よう、忠介いる?」  その後ろ頭を、清志がはたいた。 「ちゃんといえ、ちゃんと」  清志はぴしっと姿勢を正すと、 「忠介君のお見舞いにきたのですが、お加減はいかがでしょうか」 「あ、すいません。家の用事で休んでただけなんです。元気ですよ」  一応学校には連絡を入れてあるが、クラスのちがうこのふたりには伝わっていなかったらしい。  ……ところで、じつをいえば陽子はこのふたり組のことがあまり好きではない。忠介と陽子がふたりでいるときにやってきては、家に上がりこんだり忠介を連れ出したりするからだ。  しかし、今日はこのふたりがなんだかやけに好ましく思える。普通の人間であるというだけで、もう百点満点。 「えっと」陽子は居間のほうをちらりと見て、少し迷った。  あまり他人をバルシシアやミュウミュウと会わせたくはないのだが、玄関で追い返してしまうのもなんだし……。  結局、陽子はにこりと笑い、「どうぞ、上がってください」といった。 「おじゃまします」といって清志が靴《くつ》を脱ぎ、 「なに気どってんだよ」といいながら、憲夫があとに続いた。  三人が居間に入ると、美咲が入り口をふりむいて、 「あれっ?」 「お……」と、憲夫《のりお》。 「たしか君は——」  と、清志《きよし》が眼鏡《めがね》の位置を直しながらいった。憲夫、清志コンビと美咲《みさき》は、龍守《たつもり》家で二、三度会ったことがある。  美咲は「うしゃっ」と笑って、 「美咲ちゃんでいす」  それから、バルシシアの肩の上にぽんと手を置き、 「で、こっちの黒い人は新キャラ」といういいかたもナニだが、「名前は——」  視線をむけられた陽子《ようこ》は、 「……その、バルシシア……(『殿下』ってつけないと怒るかしら)……殿下」 「えっ、デンカ!?」  美咲がすっとんきょうな声を出した。 「『デンカ』って、ウメボシとか怪獣《かいじゅう》の『殿下』!?」 「なんだそりゃ」と憲夫。 「あの……そういう、あだ名」といいながら、陽子はバルシシアをちらりと見た。  バルシシアはその顔をちらりと見返し、 「ふん」といって、再びテレビのほうをむいた。  そこに、 「えー、なになに?」  と、忠介《ただすけ》が縁側から居間に入ってきて、憲・清コンビに気がつくと、 「あ、やあ」といった。  その腰に引っついたミュウミュウに清志が目を留め、 「お、その子は……?」 「おまえの親父《おやじ》の隠し子か?」と、憲夫。  陽子がむっとし、憲夫の後ろ頭が清志にはたかれ、美咲が「うしゃっ」と笑った。  しかし、この「隠し子」発言、あながちでたらめではない。清志は陽子とミュウミュウの顔を交互に見て、 「……陽子ちゃんに似てるね」といった。たしかに、他人というには不自然なほど似ている。 「ええ、まあ……」  じつは、それをいわれるのもあまり好きではないのだが、ともあれ陽子は、 「その……親戚《しんせき》の子なの。うちでしばらくあずかることになって……」今日はよくうそをつく日だ。 「へえ」  憲夫はミュウミュウの前にしゃがんで目線を合わせ、 「よう、よろしくな」といって、柔らかな髪をくしゃくしゃとなでた。  美咲《みさき》もそれに便乗して、 「よろしくゥ〜」といって、柔らかなほっぺたをむにゅむにゅむにゅ。このふたりは子供のあしらいが上手《うま》い。  ふたりにくしゃくしゃむにゅむにゅされたミュウミュウは、青い目を細めて、 「ミュウ〜」 「「……『ミュウ』?」」とふたりが顔を見合わせると、 「その……ちょっと変わった子なの」と陽子《ようこ》。 「……うん、ちょっと変わってるな」と清志《きよし》。 「うんうん、変わってる変わってる」と忠介《ただすけ》。  と—— 「そうそう、変わってるといえば、殿下も変わってるの! ほれ、さわってさわって!」  といって、美咲が憲夫《のりお》の手をとった。 「ちょ、ちょ、おい!」  美咲に引かれてバルシシアの胸元に伸びた憲夫の手が、 「ッ!」二本の指で、ぴしっとはたかれた。  無論、バルシシアも手加減はしている。本気だったら軽く手首が吹っ飛んでいる。しかしそれでも、これはいうなれば鉄の棒でしっぺを食らったようなものである。めちゃめちゃ痛い。 「…っつおおおぉ〜〜〜」憲夫の手の甲に、みるみるうちに青あざがふくれ上がった。 「あ……ゴメン」と美咲。  憲夫は手首を押さえながら、バルシシアにむかって、 「てめこの……おいコラ!」  中学のころはちょっとグレていたというだけあって、憲夫は怒ると柄が悪い。「コラ」が「コル[#「ル」は本文より1段階小さな文字]ア」と巻き舌になる。  しかし、 「ふん」バルシシアは顔をむけもしない。 「おい、こっちむけよ!」  顔を真っ赤にして怒鳴る憲夫を、 「こら、人のうちで騒《さわ》ぐな」と、清志が押さえつけた。  室内に険悪なムードがただよい始め——と、そこで、 「はっはっは」と忠介が笑った。相変わらず怒りんぼだなあ、憲夫。 「おめ、なに笑ってんだよ!」  即座に怒りの矛先が変わり、憲夫は忠介にケツキックケツキックケツキック。 「ギギギッ!?」とミュウミュウがいい、  ——あたし、やっぱりこの人|嫌《きら》い。  と、陽子《ようこ》は思った。  さて、少し間を置いて自由にけらせてから、清志《きよし》は憲夫《のりお》をはがいじめにして、なおも「はっはっはっは」と笑う忠介《ただすけ》から引きはなした。この辺の呼吸はなかなか微妙である。  と——  清志の動きが、ぴたりと止まった。 「あ?」清志の顔を怪訝《けげん》に見上げた憲夫が、その視線を追って、「…ああ」と納得した。  清志の視線の先に、忠介の入ってきた、庭に面したアルミサッシがあった。サッシには拳《こぶし》ふたつ分ほどのすきまが空いていて、そのすきまから、赤い首輪をした青い猫《ねこ》——カーツが、ずりりりり、と入ってきた。 「……猫」清志の顔が、さあっと青ざめた。  清志は猫が駄目《だめ》なのである。視界に入るだけでも駄目だし、さわられると気絶するという。  去年のいつだったか、清志は青い顔をして学校に遅刻してきて、その理由というのが、 「道路に、猫がいて……」これはウケた。  で、一旦《いったん》家に帰って道を変えて学校にきたという清志には、当時の古文の授業内容にならって「方《かた》違《たが》へ」というあだ名が奉られた。  これに対し、 「いや、それは言葉の用法がちがう」と、清志は主張した。「『方違へ』というのは『前夜、方角のよいほうに一泊して目的地に行く』ことだ。この場合は単に『まわり道』というのが正しい」  すると、そういわれたほうは、 「ねこまたよや、ねこまたよや」といって踊りながら逃げ去っていく。  いや、なぜといわれても困るが、なんだかそういうことになったのだ。こういうのは理屈ではない、ノリなのである。  で、なんでそんなに猫がこわいのか、忠介は清志に聞いてみたことがある。すると清志は、 「猫は、瞳《ひとみ》が縦長《たてなが》になっているだろう」なってるねえ。 「あと、爪《つめ》を出し入れしたりするだろう」するねえ。 「それに、ニャーと鳴くだろう」鳴くねえ。  そこで憲夫が、 「ワンと鳴けばいいのか」  と聞くと、清志はぶるぶるっと身をふるわせた。「猫がワン」も、それはそれでこわいらしい。  じゃあ、「ニャー」は理由じゃないんじゃないかなあ、と忠介は思った。普段あれだけ理屈っぽい清志にしては、なんだか筋道が立っていない。  ま、それはさておき——  清志《きよし》の過剰な反応に美咲《みさき》が気づき、その目がキランと光った。一瞬《いっしゅん》憲夫《のりお》と目が合い、ふたりはしめし合わせたように、同時に行動に移った。  美咲がさっとしゃがみ、カーツをだき上げた。憲夫は清志の手をふりほどき、すばやく背後にまわって逆にはがいじめにした。そして、ギャワワワワ、とあばれだすカーツを胸にかまえた美咲は、憲夫の押さえる清志のほうにむかった。  その意図を悟った清志は、足をふり上げながら、 「やめろおおおおおうっ!」と叫んだ。  美咲は「うっしゃっしゃっしゃ」と笑いながら腰を落とし、なおも清志に迫った。この娘は相手がいやがればいやがるほど面白がるのである。困った性格である。 「やめなさいよ!」と陽子《ようこ》がいったが、もはや聞くものではない。  どたどたどた、どたどたどた、と、体格で勝る清志は憲夫を引きずるようにして全力で逃げまわったが、やがて部屋のすみに追いこまれ、カーツをぐいっと押しつけられた。 「ヒイイイイ——」  清志の魂消《たまぎ》る様な悲鳴が、 「やかましいッ!!」[#「「やかましいッ!!」」は本文より1段階大きな文字]  バルシシアの一喝《いっかつ》にかき消された。  一瞬、居間の中がしんと静まり返り、 『山吹《やまぶき》色の、菓子にございます』というテレビの悪徳商人の台詞《せりふ》だけがひびいた。  ふん、と鼻を鳴らし、バルシシアは再びテレビを見始めた。 「……ンだよ、あいつ。感じ悪《わり》いな」と憲夫はいい、 「怒られちゃったあ〜」と忠介《ただすけ》にしなだれかかった美咲が、「ああン」陽子に乱暴に引きはがされた。  床に落とされたカーツは気を静めるためにぺろぺろと毛づくろいを始め、清志はそこから大きく距離をとって腰を落ちつけ……いや、とっさに逃げられるように中腰。  さて、それから。 「……ふうん、猫《ねこ》も飼い始めたんだ。名前なんての?」と、美咲がいった。 「『大尉』」と陽子。  カーツに関しては「隠密行動のため、表むきは『ただの猫』で通す」という方針が決まっている。余計なうそをつかなくていいので気が楽である。  だが——  後ろ足を高く上げてきんたまをなめていたカーツは、パッと顔を上げると、 『私は飼い猫《ねこ》ではない』といった。  はた、と、場の空気が止まった。  カーツの体もまた、びくりと硬直した。  ——しまった、なんとうかつな! これは致命的な過失だ!! 「……?」  美咲《みさき》と憲夫《のりお》が、カーツの様子をのぞきこんだ。その後ろで、陽子《ようこ》が「あちゃー」という顔をしている。  ——どうするカーツ、この状況をどう解決する!? ……思考せよ! 思考せよ、カーツ!  カーツの三〇グラムの脳細胞が火花を散らさんばかりに回転し、そして、危地におよんでよりさえわたるその直感が、ひとつの行動——じつに彼らしからぬ行動を選択した!  カーツは腹を見せるようにして、畳の上にコロンと転がった。 「……ニャン」 「あっ、カワイイ」と美咲。  ——われながら見事なカモフラージュだ。この愛らしいしぐさを見れば、彼らも私のことを一介の愛玩《あいがん》動物だと考えざるをえまい!  カーツは自らの演技に満足した。満足ついでにもう一度、コロン。  だが、清志《きよし》はふるえる指でカーツを指さしながら、 「しゃべった! 今しゃべったぞ!」 「あー…」  と、憲夫は頭をかいた。自分でもちょっとそんな気がするが—— 「テレビの声じゃねえの?」 「いいや、たしかにしゃべった! なあ忠介《ただすけ》!」と半泣きの清志。猫が人語を話すのもやっぱりこわいらしい。 「んんー」  そのうろたえぶりを見ながら忠介は、  ——たしかに、妖怪《ようかい》みたいでちょっとこわいかも。  と思った。 「……やかましい」と、バルシシアが吐き捨てるようにいった。  その日の夕食のあと。  ちゃぶ台の上を片づけると、忠介は風呂《ふろ》の掃除、陽子は洗いものを始めた。バルシシアはちやぶ台にほおづえを突き、テレビの『真・水戸《みと》黄門《こうもん》血風地獄変』を見ている。  陽子が台ぶきんを絞りながら、 「殿下、ちゃぶ台ふいて——」というと、 「今いいところなのじゃ」と、バルシシア。  陽子《ようこ》がなにかいおうと口を開いたとき、『陽子』カーツが足に体をこすりつけてきた。 「え、なに、大尉?」 『私の飲み水がよごれている。換えてくれたまえ』 「ごめん、今ちょっと手がはなせないから」陽子は居間にむかって、「殿下、悪いけど、大尉のお水のお皿《さら》——」 「ハ」と、バルシシアはいった。「どぶの水でも飲ませておけ」 「……ちょっと」  陽子はきゅっと音を立てて水道を止め、エプロンで手をふきながら居間に入った。 「そんないいかたないでしょ」  バルシシアは顔もむけずに「ふん」というと、テレビの音を大きくした。画面の中では、町人姿の一行が、いかにも悪そうな顔をしたザコ侍にとり囲まれている。そして、一行の中心にいる好々爺《こうこうや》然とした老人が、 『助《すけ》さん、角《かく》さん、殺《や》っておしまいなさい!』 『はッ!』 『はッ!』  ズバッ、ドシュッ、ズビュッ、ブシューッ、ベシャッ、ドバドバッ、グチョゲチョッ——  手足が飛び、首が飛び、血と内臓が飛び散る画面を指さし、バルシシアはカカカと笑ってひざを叩《たた》いた。  と——  ぷつん、と、テレビのスイッチが切られた。 「なにをするか!」  ふり返ったバルシシアを、リモコンを握った陽子が、くわっとにらみ返した。眼力では負けていない。  バルシシアが立ち上がった。むき合って立つと、陽子より頭ひとつ背が高い。黒い顔面に、ブン、と音を立てて赤い攻撃紋《こうげきもん》が走った。だが、陽子もまた、顔を真っ赤にし、口をへの字にしたまま、一歩も引かない。 「……ふん」  バルシシアの顔から、攻撃紋が、ふっと消えた。  それから、バルシシアはみしみしと足音を立てて二階へ上がり、自室に入っていった。  陽子が台所にもどると、風呂《ふろ》掃除を終えた忠介《ただすけ》が、カーツの飲み水を換えていた。床のすみに置かれていたプラスチック製の深皿を軽く洗い、半分ほど水を入れて、再び床にもどす。 『うむ、感謝《かんしゃ》する』  といってカーツが水を飲もうとしたところに、ミュウミュウが手を突っこんでぱちゃぱちゃぱちゃ。 「あっ、駄目《だめ》駄目」 『やめたまえ、ミュウミュウ!』 「ミュウ?」とミュウミュウ。  カーツは顔を上げ、 『忠介《ただすけ》、すまないが、もう一度たのむ』 「はいはい」  再度|水皿《みずざら》をもって立ち上がった忠介の背中が、陽子《ようこ》にどしっとどつかれた。水皿から水がこぼれ、カーツの頭上に降り注いだ。 『冷たい! なにごとかね!?』 「ギギッ!?」  忠介は背後をふり返り、 「え、なになに?」 「——もう、なんなのよ、あの人」といって、陽子は口をとがらせた。 「はあ、あの人って、殿下?」と、忠介。 「ミュウ?」と、ミュウミュウ。  陽子は続けて、 「話せばいっつも喧嘩腰《けんかごし》だし、一日中なんにもしないでテレビ見てるし。バカにしてるわ」 『いや、それはちがうな、陽子』と、カーツが陽子を見上げていった。『バルシシアの行動には、君たちに対する侮蔑《ぶべつ》の意図はない。彼女の言動が粗野なのは戦闘《せんとう》を旨とするグロウダイン貴族の文化によるものだ。怠惰に見えるのはエネルギー消費をセーブしているからだ。また、非社交的な態度は、自分の置かれた状況にプレッシャーを感じている——つまり、彼女なりに事態の重要性を理解しつつある結果といえる』 「……あら」と、陽子はいった。「てっきり、大尉は殿下のこと嫌《きら》いなんだと思ってた」 『私はただ事実をのべているだけだ。真実は個人の主観を超越して存在する』と、カーツ。 「個人のシュカンを……なに?」 「好き嫌いはさておき、ってことですか」と、忠介。 『その通り』 「ふうん……オトナなんだ、大尉」と陽子。  カーツは白い胸をそらし、 『もうじき六ヵ月になる』といった。  その夜——  陽子《ようこ》は真夜中に目が覚めた。このところ緊張続きで、眠りが浅い。  トイレに降りると、暗い廊下に、ふすまのすきまから光がもれていた。 「だれか起きてるの……?」  そっとふすまを開けると、居間にはバルシシアがひとりで座っていた。ちゃぶ台にほおづえを突いて——  ——またテレビ見てる。  陽子はちょっとむっとしかけた。が、そこで、 「あ…」テレビにはなにも映っていないことに気がついた。  ザー、と音を立ててホワイトノイズを流すテレビを、バルシシアは見るともなしにながめている。ほうけた黒い横顔に、ちらちらと白い光が照り映えている。  ——そっか……。  陽子は気がついた。  ——殿下はテレビが好きなんじゃなくて、ほかにやることがないんだ。  ここ数日、陽子がぴりぴりしていたのは、何人もの宇宙人が、自分の家に土足同然に入ってきたからである。動物にたとえていうならば、「なわばり」を荒らされて、気が立っていたのだ。  しかし、それをいったら……バルシシアの「なわばり」——安心できる場所は、地球上のどこにもないのだ。ずっとテレビに張りついているのも、仲間からの連絡があるかもしれないこの場所が、ほかの場所より——仲の悪い大尉といっしょの部屋より——多少はまし、ということなのかもしれない。  ——ちょっと、かわいそうかも。  われながら不思議なほどやさしい気もちになって、 「……殿下」と、陽子はバルシシアに声をかけた。 「む」  バルシシアはテレビのリモコンをとられないように手元に引き寄せた。それから、かちゃかちゃとチャンネルを変え、まだやっている深夜番組に合わせながら、 「なんじゃ、見ておるぞ」若干、声に警戒《けいかい》の調子が混じっている。 「そうじゃなくて……お茶、飲む?」 「む?」バルシシアは怪訝《けげん》な顔でふり返り、「……うむ」といった。  さて、それから—— 「ねえ、あの……」  と、お茶受けのせんべいを皿《さら》にあけながら、陽子。 「殿下のおうちの人って、どんな人?」 「おうちの……?」 「兄弟とか、ご両親とか」 「——なにっ!?」  バルシシアのもつ湯飲みに、ぴしっとひびが入った。 「あ、姉上らのことかっ!? 上の姉上か!? 下の姉上か!?」 「え、あの…」  バルシシアはその場に立ち上がりながら、 「それとも、は、ははは、母上のことかっ!? 母上がなんぞいうてこられたのかっ!?」  と、まるで、その「母上」が立っているのではないかというように、二度、三度と背後をふり返った。黒い顔に赤い攻撃紋《こうげきもん》が走っている。  陽子《ようこ》はあまりの反応にたじろぎながら、 「聞いてみただけよ」といった。  すると、バルシシアはほっと息をつき、それから安堵《あんど》の表情をとりつくろうように、むっと渋い顔をしながら、再びどかりとあぐらをかいた。 「……なんじゃ、おどかすでない」おどろいたのは陽子のほうである。  ひびの入った湯飲みから、ちょろろ……と、お茶がもれた。  ——よくわかんないけど、悪いこと聞いちゃったのかしら。  気まずい沈黙《ちんもく》の中、陽子は、ちゃぶ台をふき、替わりの湯飲みをもってきた。バルシシアはせんべいをばりばりとかじっている。  陽子はなにかいい話題はないかと思案しながら、 「ええと……昼間の人たちは、なんの人なの?」といった。 「うむ?」 「ええと、たとえば、あの(顔の)大きい人」 「ああ、オルドドーンか。あれはわらわの参謀《さんぼう》じゃ」 「殿下のこと、すごく心配してたみたいね」  バルシシアはカカカと笑い、 「あやつは、顔はでかいが肝はちっさいのじゃ」と、自分のことは棚《たな》に上げている。 「ほかの人たちは?」 「うむ、ジェダダスターツに、ゼララステラに、アルルエンバーに、ザカルデデルド——」  バルシシアは耳慣れない名前を、お経のように並べ立てた。どれもこれも、  ——変な名前。  と陽子は思ったが、せっかくバルシシアの機嫌《きげん》が直ってきたようなので、だまっていることにする。 「ゼロロスタン、ボラランダル、メルルリリスにリルルメリス。みな、わが〈突撃丸《とつげきまる》〉の乗員、わらわの体の一部も同然じゃ」  ほこらしげにいうバルシシアの様子を見て、  ——それじゃあ、あの人たちが、殿下の「家族」なんだ。  と、陽子《ようこ》は思った。 〈突撃丸《とつげきまる》〉——バルシシアの乗ってきた宇宙船は、カーツの乗ってきた宇宙船と戦って「速いほうのエンジン」をこわされ、今は乗員もろとも海王星軌道のあたり(といわれても陽子にはピンとこないが)をのろのろと飛んでいるという。「体の一部」とまでいう仲間と引きはなされ、バルシシアはひとり、この地上に落ちてきてしまったのだ。そう考えると、なんだかかわいそうに思えてくる。 「……ねえ、殿下」 「なんじゃ」 「あたしたちは、その人たちの代わりには、なれないかもしれないけど——」 「あたりまえじゃ。なってたまるか」  簡単にいわれて、陽子はむっとしかけたが、軽く深呼吸して気を落ちつけ、 「ねえ……これから、なかよくして」といった。 「む?」  バルシシアは、むむむ、と眉根《まゆね》を寄せた。 「ん、む……まあその…………おぬしらの態度によっては、そうしてやらんでも、ない」  バルシシアはぎこちなくそういうと、そわそわと視線を動かした。黒い顔の上で、攻撃紋がちかちかと点滅した。  陽子はその様子にくすりと笑い、 「どうか、お願いします」といって、頭を下げた。 「……うむ」  バルシシアはふっと息を吐くと、とがった歯をむき出して笑い、 「苦しゅうないぞ」といった。 [#改ページ] [#挿絵(img/tatumorike2_134s.jpg)入る] [#改丁] 5  『次元刀殺法』  そのころ、高速御座砲|艦《かん》〈突撃丸《とつげきまる》〉艦内——  航海師ゼララステラが、 「あら、艦長さま」  と、居住区の通路を倉庫にむかう男を呼び止めた。  男の身の丈は二メートルほど。しなやかで無駄《むだ》のない、細身の体格。腰には刃わたり一・二メートルはある大太刀を帯びている。 〈突撃丸〉の艦長、ジェダダスターツだ。  ジェダダスターツは、ゼララステラに道をあけるように通路のわきに下がり、赤く光る目を伏せ、一礼した。航海師の立場にあり、また傍系とはいえ皇家の血を引くゼララステラに対する礼儀だ。  ジェダダスターツの艦内における地位は、皇族でありこの艦の主でもあるバルシシア、その参謀《さんぼう》たる戦略神官オルドドーン、航海師のゼララステラに次ぐ、第四位のものである。御座砲|艦《かん》の中において、艦長という職は、なんらかの統率者というよりは「皇族の側居役《そばいやく》」、あるいは「艦内の雑事のまとめ役」という色が濃《こ》い。  しかも、ジェダダスターツは艦の運営をオルドドーンにまかせきってしまっている。そうしたことに、はなから興味《きょうみ》がないのだ。  こうしたことは、決してめずらしいことではない。グロウダインの社会における職務の割りふりは、主の意向と当事者それぞれの能力、適性、力関係などによって、柔軟に調整される。組織行動の基本が遺伝《いでん》レベルで刷りこまれている彼らには、精細な規則にのっとった位置決めは必要ない。おのおのが、自然と最適なポジションにおさまっていくのだ。  そのことによって、ジェダダスターツはバルシシアの侍従に徹《てつ》することができる。だが……現在、艦内に彼の主はいない。 「殿下との通信のときには、おいでになりませんでしたのね」  ゼララステラの言葉に、ジェダダスターツはうなずいた。つい先ほども、オルドドーンに呼ばれ、その口からバルシシアの様子を知らされたところである。 「大事ない」とのことであったが—— 「ええ、わたくしどもを心配させじと気丈にふるまっておいででしたけれど……」  ゼララステラは口元に手をそえ、目を伏せた。 「殿下はとても繊細《せんさい》なかたですもの。きっと敵地でつらい思いをしていらっしゃるのですわ。ああ……前を見ても、後ろをむいても、そこにあるのは悪意に充ち満ちた毒矢のごとき視線ばかり。針のむしろに座し、家畜のごとく餌《え》を投げられ、身にまとうはぼろの束。湯浴みは許されず、はばかり[#「はばかり」に傍点]にあっても監視の目ははなれず、その顔に浮かぶ下卑《げび》た笑いを見るにつけ、このような生き恥さらすならば、いっそ敵の二、三〇〇〇人も道づれに大輪の花と散ってくれようかと思うそのとき、まぶたに浮かぶは故国《おくに》のこと、家臣のこと、そしてなによりもたよりとするあなたさまのことでございましょう。この場にジェダダスターツがあればこのような思いもするまいに、なぜ今ジェダダスターツはおらぬのかと、のどから出かかるその名を飲みこみ、裂けるほどに唇《くちびる》をかみながら、今この瞬間《しゅんかん》も涙に袖《そで》をぬらしておられるのですわ。ああ、なんとおいたわしい……」  よよよよよ、とよろめいたゼララステラが、はしっ[#「はしっ」に傍点]とジェダダスターツの肩につかまった。 「お察ししますわ艦長さま。その思いはあなたさまとて同じこと。殿下のことを思えばその胸は張り裂けんばかり、されど眼前に広がるは、わが身をはばむエーテルの大海。いっそ腰のものを抜いておのが心の臓をえぐり出し、一発の弾丸へと変生して殿下のもとへ参じたいと、そうお思いのことでしょう!」  そこまでひと息にいうと、ゼララステラは、ちらり、と、上目づかいにジェダダスターツの顔を見上げた。  ジェダダスターツは無言、無表情のまま、わずかに首を横にふった。  ゼララステラはジェダダスターツから身をはなし、 「なあんだ……つまりませんこと」といって、もときたほうへすたすたと歩いていった。  ジェダダスターツはその背に一礼し、再び倉庫にむかった。  決して余裕をもって設計されているとはいえない〈突撃丸《とつげきまる》〉の艦内《かんない》には、しかし、ジェダダスターツ艦長専用の「処刑場」がある。  内径約三〇メートル。核融合《かくゆうごう》チェンバーを改装し、装甲パネルの内張りをした、球状の空間。その中心部を射線の焦点として、自動化された大小無数の機関銃やレーザーライフルが内壁《ないへき》に設置されている。  バルシシア皇女の計らいで倉庫の一角に据《す》えつけられたそれは、正式には「訓練室」と名づけられたものである。——が、砲術師ザカルデデルドの「あれは、まるで処刑場だ」という台詞《せりふ》にならって、今はみなにそう呼ばれている。 「一度入れば、生きては出られぬ」——そういった意味だ。  ジェダダスターツは艦内での時間の大半を、この「処刑場」ですごす。この「処刑場」で訓練をし、思索にふけり、そして眠る。事実上の「私室」といってよい。  そして今も——  無音にして無明。死の予感に満ちた空洞《くうどう》の中心、数本のワイヤーに釣られた円形の台の上に、ジェダダスターツはひとり座している。  床に片ひざを突き、顔を伏せた姿勢で静止。左手は腰の太刀の鯉口《こいぐち》を押さえ、右手はその柄を握っている。両目を閉じ、額《ひたい》の第三眼に意識を集中し、全方位を同時に[#「全方位を同時に」に傍点]見据えている。全身の攻撃紋《こうげきもん》に、うすく、赤い光が灯《とも》っている。  我流の居合《いあい》術のかまえの姿勢——ジェダダスターツは、次元刀の達人なのだ。  一挺《いっちょう》の機銃が、発砲した。  闇《やみ》を貫いて飛来した一発の機銃弾が、ジェダダスターツの側頭部にあたるかと思えた瞬間《しゅんかん》——  ジェダダスターツの攻撃紋の赤い光が、急速に密度を増し、金色に、そして虹《にじ》色に色を変えながらその右腕に集中し、次元刀の柄を伝って鞘《さや》の中にすべりこんだ。  ヂン、と音を立て、空中に虹色の火花が散った。  見えない壁《かべ》に突きあたったかのように、機銃弾は空中に静止していた。どうしたことか、勢いを完全にうしなっている。  機銃弾の先端から飛んだ火花が、空中に溶けた。  機銃弾は垂直に一五メートルを落下し、「処刑場」の椀《わん》状の床にあたり、重い音を立てて転がった。  もう一発、別の機銃から弾が発射された。  ジェダダスターツの後方数十センチの位置で、ヂン、と火花が散り、機銃弾は落下した。  もう一発、もう一発、さらにもう一発——  ヂン、ヂン、ヂン、と、ジェダダスターツの周囲に虹《にじ》色の火花が散り、そのたびに一発ずつの機銃弾が落下していく。  弾を受け止めているのは、太刀の刃だ。  ジェダダスターツのさげた大太刀——次元刀の刃が、鞘から抜かれることなく[#「鞘から抜かれることなく」に傍点]基準界面下を走り、機銃弾を正確に受け止めているのだ。  その間、ジェダダスターツは指一本動かしてはいない。  基準界面上で動作を起こしていては間に合わない。ジェダダスターツは攻撃紋《こうげきもん》から伝えた次元振動によって次元刀の刃のみを界面下にすべらせ、最小限の——無限にゼロに近い時間で、必要な位置まで移動させているのだ。  いうなれば、Cプラス斬撃《ざんげき》。超光速の刃は、ジェダダスターツが望めば、飛来する機銃弾を一瞬《いっしゅん》にしてみじんに刻むことができる。  だが、今彼がおこなっているのは、さらに数段高度な技だ。  斬《き》るのではなく、受け止める——  次元刀の刃が機銃弾と接触する、その時間的・空間的な一点に意識を集中し、機銃弾の運動エネルギーをおのが身に吸収する。エネルギー吸収/放出を得意とするギルガガガントス家にさえ、ここまでの精度でそれをおこなえる者はいまい。  ヂ、ヂ、ヂ、ヂ、ヂン——  前後左右、そして上下。全方位からの銃撃が、やがて連射に変わった。  ヂ、ヂ、ヂィ————————ッ——  毎秒数千発の集中砲火をマイクロセカンドの単位で見切り、ジェダダスターツは機銃弾をひとつのこらず的確に受け止める。虹色の火花がジェダダスターツを囲み、光のケージを形作っている。雨のように落下する機銃弾が、ざらざらと床に溜《た》まっていく。  次元刀の切っ先に意識を集中しつつ、かつ、全方位にまんべんなく注意を払う——矛盾をはらむその行為を、ジェダダスターツは不動のままにこなしている。  レーザーライフルが、射撃に加わった。  当然、レーザーの見切りは光学的視覚にはたよれない。が、ジェダダスターツは最初からおのが両の目を閉じている。そうして意識を集中した第三眼のハイパーウェーブ知覚によって、射撃に先立って基準界面下に表れる予波を読みとっているのだ。  ちなみに、レーザーは機銃弾のように受け止めることはできない。レーザー射撃は、点ではなく、線——時間的に連続しているからだ。仮に一秒間照射されたレーザーを受け止めるには、やはり一秒の時間がかかる。個体弾のように「一瞬」で処理するわけにはいかない。その間に他《た》の銃から発射された弾丸やレーザーに襲《おそ》われれば、無防備に一撃を食らってしまう。そこて——  レーザーの射線の前に虹《にじ》色の光の帯がひらめき、空間の一部をゆがめた。ゆがみにとらえられ方向をそらされたレーザーが、「処刑場」の内壁《ないへき》にあたり、装甲パネルの一部を赤熱させた。レーザーのみならず、ゆがみにとらえられた機銃弾も、その射線をねじ曲げられ、ガン、と鈍い音を立ててパネルの上をはねる。  空間のゆがみは一秒もしないうちにエーテルの界面復元力によって修復される。その後もレーザー照射が続くようであれば、さらに同じ場所にゆがみを継ぎ足す[#「継ぎ足す」に傍点]。  ジェダダスターツの姿は今、あたかも、うすい虹色にゆらぐまゆに包まれているようだ。全方位から迫るレーザーはまゆの表面に弾《はじ》かれ、それたレーザーによって「処刑場」全体が赤熱している。機銃弾の一部はまゆのすきまを突いたところを次元刀の刃に受け止められ、のこる大部分はレーザーと同様にまゆに弾かれ、「処刑場」の中を幾重にもはねまわっている。  ヂィ————————ッ——と火花が散り、  ガガガガガガガガガガッ——と跳弾《ちょうだん》が舞い、  その間を、何十条もの光線が音もなくひらめく。  熱、光、騒音《そうおん》、そして弾丸。「処刑場」内には今や、破壊《はかい》の嵐《あらし》が荒れ狂っている。  その中心にあって、ジェダダスターツはいまだ微動だにしていない。一切|無駄《むだ》のない、鋼線を束ねて作ったような肉体はかまえの姿勢のまま静止し、攻撃紋《こうげきもん》の光だけが、その体表面を目まぐるしく走っている。鋼の肉体から遊離した戦闘《せんとう》の意志が、その表面を駆けめぐっているようだ。その光が強ければ強いほど、のこされた肉体はますます無機質に——金属製の彫像のように見える。黒い鉄塊を削《そ》いで作ったような横顔は、とても生命ある者のものとは思えない。  だが、しかし。  極限まで近づいた「死」から、刃一枚、分子ひとつ分の間合いを保った位置。そここそがジェダダスターツの居場所——おのが生命をもっとも強く実感するところなのだ。銃弾の、そしてレーザーの形をとって迫る「死」が、過酷なものであればあるほど、彼の凝縮《ぎょうしゅく》された生命力ともいうべき次元刀の刃はますます研ぎすまされ、はげしく光を放つ。  非常を日常とし、緊張の中にくつろぎ、死の中に生を見いだす——言葉にすれば矛盾としかいいようのないことが、無言のジェダダスターツの中には、矛盾なくおさまっている。  と——  赤熱したパネルに照らされた黒い横顔が、わずかに笑みを浮かべた。  この男が笑うことがあるということを、いや、この男に笑みを浮かべることができるということを、知る者は少ない。  すでに一〇周期ほども昔になるか——  その少女は、口をへの字に曲げ、まなじりを決してジェダダスターツを見上げていた。  左手に、ひとかかえもある人形を、髪をつかんで引きずっている。赤い布の服を着た、鋳鉄《ちゅうてつ》製の関節人形。貴族の子供がままごとなどに使う、ここではごくありふれた品だ。 「皇家の三の姫さま、バルシシア殿下じゃ」  と、少女を連れた戦略神官——オルドドーンはいった。  ジェダダスターツは無言であった。無言で、幼い皇女を見下ろした。  ——これが、皇家《ギルガガガントス》の血というものか。  まだあどけなさをのこす黒い顔は、しかし、こちらをにらみ殺さんばかりの気迫を放っている。研ぎすませた眼光の一閃《いっせん》で、わが眉間《みけん》を射抜き、あるいは首をはね飛ばすのではないか——そのようにさえ思える。 「……なんじゃ、その目は」  と、バルシシアがいった。その眼光が強度を増し、黒い肌《はだ》に攻撃紋《こうげきもん》が走った。 「ひかえよ、ジェダダスターツ」と、オルドドーンがいった。  ジェダダスターツは無言のまま、平伏した。片ひざを突き、顔を伏せて、頭上にオルドドーンのとりなしの声を聞いた。 「この男、卑賤《ひせん》の出ゆえ礼儀も心得ませぬが、なかなかに見どころありと伝え聞いております。いずれ殿下のお役に立ちましょう」 「ふん」  ジェダダスターツの頭上で、ぶん、と空気が鳴った。バルシシアのふりまわす人形が、空を切る音だ。 「あっ、殿下、なりませぬ!」と、オルドドーンが叫んだ。  勢いのついた鋳鉄の塊を、ジェダダスターツは甘んじて左肩に受けた。よけることはできたが、よけなかった。このような場合、よければ相手はますますむきになるだけだ。  ——われながら、すっかり犬根性が身についた……。  心の奥底で、そう思った。  と—— 「貴様!」バルシシアは叫び、足をふり上げた。 「殿下、どうなされました!?」  といいながら、オルドドーンがバルシシアをかかえ上げた。バルシシアは空中で足をばたつかせながら、 「こやつ、今笑いおったぞ! わらわのことを笑いおった! 無礼なやつじゃ!」 「さようなことはありませぬ。だれも殿下を笑いはしませぬ」 「うそじゃ、うそじゃ!」 「うそなど申しませぬ。そもそも……」と、オルドドーンはいった。「こやつが笑うところなど、だれも見たことがありませぬ」  その言葉を肯定するように、ジェダダスターツは無言、無表情のままに立ち上がった。  バルシシアはその顔を見上げながら、 「貴様、今一度そこに直れ! 踏み殺してくれる! はなせオルドドーン!」  そう叫ぶと、オルドドーンの腕にかみついた。太い腕に鋭い歯が食いこみ、短絡したエネルギー走路がバチバチと火花を散らした。  オルドドーンはその痛みに顔をしかめながら、ジェダダスターツにむかって、 「決して恨みになど思うな。殿下は少々|癇《かん》がお強いのだ」といった。  ジェダダスターツはなおも無言のまま目礼し、肩を払った。 「さ、殿下、まいりましょう、まいりましょう」  そういって、オルドドーンはバルシシアをかかえたまま歩き出した。バルシシアは全身でもがき、人形をふりまわしながら、 「おのれ、おぼえておれ!」と叫んだ。  その数日後——  ジェダダスターツはひとり、武芸院の庭の片すみにいた。  鉄鋼樹《てっこうじゅ》の立ち木にむかい、片ひざを突き、顔を地面すれすれに伏せ——一見、貴人に対する平伏の型だが、その右手は腰に帯びた大太刀の柄を握っている。  大太刀は刃わたり一・二メートルの次元刀。彼の師である武芸長がたわむれに与えたもので、無銘ながら逸品である。ジェダダスターツには武具の見立てはできぬが、これがよい道具であることは、打ちふった際の感触でわかる。……これは、よい人|斬《き》りの道具だ。  鉄鋼樹の枝には、腿《もも》ほどの太さの丸太が、太綱で、頭ほどの高さにつるされている。  ジェダダスターツの全身にゆっくりと気力が充実し、黒い肌《はだ》に攻撃紋《こうげきもん》が浮かび上がった。  そして——  突然伸び上がるように上体を起こすと、ジェダダスターツは丸太にむかって抜き打ちに斬りつけた。全身をめぐるエネルギーが次元振動の形をとって、右腕を、そして次元刀の刃文を伝ってその刃に集中した。  虹《にじ》色に光る刃が、丸太に深々と食いこんだ。その光が丸太の表面を走り、綱を伝って鉄鋼樹の枝に至ると、針の束のような葉の間に、バチバチと音を立ててはげしい電弧が生じた。  だが、  ——絞りが甘い。 「絞り」、すなわち次元刀の刃へのエネルギー集中が極限までなされていたならば、それは斬撃《ざんげき》の瞬間《しゅんかん》に散ることなく、丸太を両断しただろう。また、そうでなければ、  ——人斬りは成らぬ。  ジェダダスターツは、そう考えている。  おのが身の危険に対し、意識的、瞬間《しゅんかん》的にとてつもない強靭《きょうじん》さを発揮するグロウダインの肉体に対しては、正面切っての物理|攻撃《こうげき》はほとんどダメージにならない。それゆえ、グロウダインの剣法の立ち合いにおいてはまず、「くずし」、すなわち、虚実の駆け引きをもって相手に精神的なすきを生じせしめることが重要とされている。  だが、刃のない偽刀をもちいての打ち合いなどは、道場の中でしか通用しない——ジェダダスターツは、そう考えている。そのようにして得た技は、常に一分のすきもなく精神の平衡《へいこう》をたもつ達人に、あるいは全身に必死の気迫をみなぎらせた素人にさえ、決して通じるものではない、と。  次元刀法の極意は、自らの肉体の延長と化した刀身に体内より発する次元振動を絞りこみ、その刃をもって敵の、これも次元振動によろわれた体表面を貫き、切り裂くことにある。  相手の体格、武器、挙動——そうした要素に左右されることなく、ただ一閃《いっせん》あるのみ。極限まで「絞り」のなされた刃の前には、いかなる防御も効を奏することはない。空間ごと両断されるばかりだ。  ——しかし、いまだ自分はその境地には遠い。  ジェダダスターツは空中にゆれる丸太から太刀を引き抜き、鞘《さや》におさめた。そして、次の一打のために再び間合いをとり、腰を落とした。  そのとき——  背後からの気配に、ジェダダスターツはかまえを解き、立ち上がった。  気配の主は、数メートル先に立つ、ひとりの少年——いや、男装の少女だ。先日の少女、バルシシア皇女より二、三年上と見えるが、顔つきや肌《はだ》の色合いがよく似ている。青みがかった髪は短く、顔つきはやや険が強い。  見たところ、やはり皇家の血に連なる者のようだが、どのような態度をとったものか、ジェダダスターツには判断がつかない。ただ無言のままに立つのみだ。 「……ふん、武芸長が飼《こ》うている野良犬とは、貴様か」  少女はそういうと、口のはしをゆがめて笑った。 「なるほど、礼儀を知らんと見える」  少女は右手に、なにか大きな塊を引っさげていた。ジェダダスターツの目がそちらに泳いだ瞬間——  少女はすばやく右手をふり上げ、その塊を投げつけてきた。  おのが頭部にむかって、虚をつく形で一直線に飛んできた塊に対し、ジェダダスターツは反射的に身をかがめ、太刀を抜いてそれを打った。  塊は虹《にじ》色の刃に空中で断ち割られ、いくつかの断片に分かれながら落下した。  胴が、腕が、そして黒い小さな首が、ころりと地面に転がった。少女が放《ほう》ったのは、ひとかかえもある人形だった。  少女の顔が、にたりと笑みを浮かべた。赤い口に、ノコギリのようにとがった歯がのぞいた。 「見事じゃ。ほめてつかわす」  笑みを含んだ声でそういうと、少女はジェダダスターツに背をむけ、からからと笑いながら去っていった。  その真意をはかりかねながら、ジェダダスターツは太刀をおさめた。それから、身をかがめ、足元の人形を拾い上げた。  鋳鉄《ちゅうてつ》製の関節人形——先日、第三皇女バルシシアがもっていたものだ。見おぼえのあるその人形が、今は次元刀の刃によって袈裟《けさ》がけに斬《き》られ、首と左腕、それに胸の一部が、完全に切断されてしまっている。  と、そこに——  ばきばきと音を立てて、灌木《かんぼく》を乗り越えてきた者があった。  バルシシア皇女だ。  ふり返るジェダダスターツと目を合わせたバルシシアは、枝に引っかかった着衣のすそを引っぱりながら、 「なんじゃ、貴様か」  一瞬《いっしゅん》顔をしかめ、口をとがらせた。が、すぐに、それどころではないといった表情で左右を見まわしながら、 「下の姉上がこなんだか」といった。  ——すると、先ほどの男装の少女は、第二皇女ということか。  ジェダダスターツが思いをめぐらせていると、その手元を見上げたバルシシアが、 「……貴様!」と叫んだ。  バルシシアはジェダダスターツの腕に飛びついた。 「それはわらわの人形じゃ! 返せ、盗《ぬす》っ人《と》め! 返せ!」  乱暴にゆさぶられたジェダダスターツの手から、人形の頭がぽろりと落ちた。 「あっ!」  ころころと転がる人形の頭を目で追ったバルシシアの顔に、やがて、ブンと音を立てて、赤い攻撃紋《こうげきもん》が浮かんだ。 「貴様……貴様がこわしたのか!」  なんと答えたものか——ジェダダスターツは口がよく立たない。  戸惑う彼の手から、バルシシアは人形の体を引ったくり、そして地面に叩《たた》きつけた。 「……貴様、殺すぞ!!」  ジェダダスターツは本能的に生命の危機を感じ、身がまえた。全身の攻撃紋を、緊張の波がちりちりと走った。  バルシシアの小さな体が攻撃紋から火花を散らしながらふるえ、ハイパードライブにも似たうなりを発し始めた。  幼きとはいえギルガガガントス。バルシシアの一撃《いちげき》はジェダダスターツの肉体を容易に粉砕するだろう。一口に「武器」という中にも短刀からノヴァ爆弾《ばくだん》までさまざまな種類があることにも似て、グロウダインはおのおの属する氏族によって、その身体的能力を大きく異《こと》にする。わけても、こと戦闘《せんとう》と破壊《はかい》にかけて、ギルガガガントス家は生まれながらに最強の座を約束されているのだ。  速度においても、また破壊力においても、この少女の力は自分をはるかに凌駕《りょうが》している。逃げて逃げきれるものではない。また、全身に気を張って防御を固めたとて、桁《けた》ちがいの出力をほこる次元振動をまとった拳《こぶし》は、やすやすとその防御を吹き飛ばすだろう。  空気の中に、濃密《のうみつ》な殺気が張り詰めた。ただひとりの少女によって、ジェダダスターツは今、死地に置かれている。  ——ここから逃れる手段は、ただひとつ。  ジェダダスターツは即座に意を決し、バルシシアの前にひざまずいた。一見、平伏の姿勢だ。 「臆《おく》したか、腰抜け! だが、地に這《は》ったとて許しはせん——」  バルシシアは拳をふり上げた。全身の攻撃紋がひときわはげしく輝《かがや》いた。 「死ね下郎《げろう》!!」  空気をふるわせながら、バルシシアが拳をふり下ろした瞬間《しゅんかん》——  ジェダダスターツの右手が太刀の柄に伸び、その刃に体内の全エネルギーを絞りこみながら、バルシシアの拳に抜き打った。  少女の姿をとって現れた「死」を前に、ジェダダスターツの精神はかつてないほどに研ぎすまされていた。極限まで絞りこまれた次元刀の刃が、ギルガガガントスの拳を受け止めた。  次元振動が相殺《そうさい》され、素[#「素」に傍点]の刃と拳が接触した。  ——だが、斬《き》ってはならぬ。  皇族たるバルシシアの体を毛ほどにも傷つけたならば、ジェダダスターツの命は、やはり、ない。  接触の瞬間、小さな拳にこめられた巨大な力を——この状態では、それは拳自体の破壊にむかう——ジェダダスターツは次元刀の刃を介してわが身に引きこんだ。  すさまじい衝撃《しょうげき》が、ジェダダスターツの体を打った。全身を砕き散らさんばかりの、荒れ狂うエネルギーの渦《うず》。ジェダダスターツはその流れを冷静に制御し、体表面に誘導《ゆうどう》、放出した。  周囲の空気が空間もろともふるえた。足元に敷《し》かれた砂利が破砕され、細かな砂と化して宙に舞った。灌木《かんぼく》の葉がちぎれ、融解《ゆうかい》しながら飛び散った。  ……やがて、空気のふるえがおさまった。  ふらりとかたむいたバルシシアの体を、ジェダダスターツの腕がだき留めた。幼いバルシシアには、まだ力の加減がきかない。一撃で体力を使いはたし、気をうしなったのだ。  ジェダダスターツは立ち上がり、上着を脱いだ。身に余るエネルギーを通したため内側から焼かれた体のあちこちから、うすい煙が立ち上っている。  次いでジェダダスターツは、焼けこげた上着を平らな地面に敷《し》き、その上にバルシシアの身を横たえた。  それから——  バルシシアが目覚めたのは、数分ののちだ。まだ周囲の灌木《かんぼく》にはちりちりと熱がのこり、金属の焼ける匂《にお》いがする。  近くの庭石に、上着を脱いだジェダダスターツが腰かけている。 「貴様!」  バルシシアは勢いよく立ち上がると、足元をふらつかせ、ばたりとあおむけに倒れた。  そして、大の字になって天をあおぎながら、 「殺すぞ!!」と叫んだ。  ジェダダスターツはバルシシアにちらりと目をやると、おのが手元に視線をもどした。手には、服を脱がせたバルシシアの人形をもっている。  ジェダダスターツは人形を顔の高さにもち上げ、目をすがめてすかし見ながら、右手に鉄鋼樹《てっこうじゅ》の葉をかまえもった。  ブン、と音を立てて、針のような葉が金色に光った。次元刀の要領で、おのが身に起こした次元振動を絞りこんだのだ。  ジェダダスターツは人形の肩の軸の断面に、光る針を垂直に差しこんだ。針はさほどの抵抗もなく、鋳鉄《ちゅうてつ》の塊の中にぷすりと入っていった。  さらに、二本、三本——と軸に針を刺すと、ジェダダスターツは太刀を抜き、その切っ先で針の頭を二センチほどのこして斬《き》りそろえた。そして、再びその一本一本をつまんで絞り[#「絞り」に傍点]を入れ、人形の腕がわの軸に差しこんだ。折れた軸が、何本かの鋼線でつながれた形になる。  同様に首の軸をつないだのち、ジェダダスターツは錫《すず》の葉と鉛樹の皮をこねた塊を指先で伸ばし、つないだ軸の継ぎ目のまわりに押しつけた。それから、再び鉄鋼樹の葉を手にとり、指に力をこめて指先を赤熱させた。指の熱で虹《にじ》色に焼けた鋼の針をこて代わりに押しあてると、塊が液状に溶け、軸を溶接した。  と、そこで、ジェダダスターツが横をむくと、いつの間にか横に座って手元をのぞきこんでいたバルシシアと目が合った。バルシシアは口をとがらせながら、 「……わらわの人形じゃ」  といい、ジェダダスターツがうなずくと、「ふん」といって、再び人形をのぞきこんだ。  最後に欠けた胸板を溶接すると、ジェダダスターツは人形にもと通りに服を着せた。服は袈裟《けさ》に斬られたままだ。ジェダダスターツは多少の鋳《い》かけはできるが、裁縫《さいほう》の心得はない。  そして——  ジェダダスターツが差し出す人形を、バルシシアは引ったくるようにとって、駆け出した。それから柱の後ろに駆けこみ、やや間を置いてから、そっと顔を出した。  ジェダダスターツは地面から上着を拾うと、泥《どろ》を払って身につけた。次いで、太刀を腰に帯びると、何事もなかったかのように、居合《いあい》の型をとり始めた。  さらに数日後。  いつものように居合の修練をしていたジェダダスターツは、背後に人の気配を感じた。  その気配は、近づくでもなく、遠ざかるでもなく、かといって、こちらをそっとうかがうという風でもない。ややはなれた場所をうろうろしている。  立ち上がってふりむくと、人形をかかえた少女と目が合った。バルシシア皇女だ。 「……なんじゃ」と、バルシシアはいった。「わらわになんぞ用か」  用もなにも、最初からここにいるジェダダスターツに、バルシシアのほうからむかってきたものである。ジェダダスターツがわずかにかぶりをふると、 「ならば、そうじろじろと見るな。無礼なやつめ。おぬしの眼光は強すぎるのじゃ」  そういいながら、バルシシアはかたわらの、腰ほどの高さの庭石によじ登り、その上にあぐらをかいた。それから、ジェダダスターツの顔を見上げ、 「なんじゃ、わらわは最初からここで遊ぼうと思っておったのじゃ。そこにたまたまおぬしがおったというだけじゃ。なんぞ文句があるか」  そういったバルシシアは、しかし、ジェダダスターツが一礼してその場を去ろうとすると、 「……苦しゅうない、続けよ」といった。  続けよといわれてやめるのも、また不興《ふきょう》を買うことになりかねない。ジェダダスターツは再び腰を落とし、居合の型をとった。気合を充実させ、一閃《いっせん》の機をはかる。  と—— 「ほほう、おぬし、新しいべべを着ておるな!」と、バルシシアがいった。  怪訝《けげん》に思ってふり返ると、バルシシアは人形と正面にむき合い、話をする格好になっていた。バルシシアはさらに大きな声で、 「どうしたのじゃ、父御《ててご》に買《こ》うてもろうたか、母御《ははご》のお下がりもろうたか。なに、おばばにぬうてもろうたとな? それはよかったのう! うむ、おばばには、わらわからもよう礼をいうておくとするぞ!」  次いで、バルシシアは人形のえり元をめくり、 「やや、これはどうしたことじゃ、おぬし、怪我《けが》をしておるではないか! むう、これは深手じゃ、御典医どのを呼ばねばならんぞ!」と叫んだ。  それから、ジェダダスターツの視線をさけるように後ろをむきながら、 「なに、もう治ったとな? ほほう、見事な手あてじゃ、いずこの医者どのか知らぬが、あっぱれ、まさしく名医の手並みじゃ! 医者どのには、わらわからもよう礼をいわねばなるまいな!」  そして、肩越しにジェダダスターツの表情をうかがいながら、小さな声で、 「……もし医者どのに会《お》うたら、そのように伝えおくがよい」といった。  黒い横顔に、ちかちかと攻撃紋《こうげきもん》がまたたいている。  ジェダダスターツが目礼すると、バルシシアはとがった歯をむき出して、花開くように笑った。バルシシアは人形の髪をなでながら、 「よかったのう!」といった。  それから——  ジェダダスターツは腰を落とし、刃を絞りながら、鉄鋼樹《てっこうじゅ》の枝からつるした丸太に抜き打った。  丸太のはしが、なめらかな切り口を見せながら輪切りに斬《き》り落とされ、がろがろと音を立てて地に踊った。  先日バルシシアの一撃を受けて以来、技がさえている。一瞬《いっしゅん》とはいえ死に直面したために、エーテルの流れを読み、刃を絞る精神の働きが、数段精度を増したのか。あるいは、巨大なエネルギーの奔流をわが身に通した結果、体内になにか新しい回路が生じたのか——  ジェダダスターツは今一度太刀をふるった。もう一枚、厚い円盤《えんばん》状の木片が落下した。  すばやく身をかがめ、太刀の切っ先を円盤の下に差し出すと、重量数キロの鉄鋼樹の円盤は、まるで羽毛のように切っ先の上に止まった。落下の勢いが刃から引きこまれ、吸収されたのだ。  ジェダダスターツは刃を引きもどし、さらにふるった。二度、そして、さらに四度。  空中にのこされた円盤は最初のふた打ちで十文字に斬り割られ、続く四度の打突で微塵《みじん》に砕け散った。前者には鋭い「絞り」が、後者には切っ先からの高圧の「弾《はじ》き」がおこなわれている。次元振動の制御が活殺自在の域にまで達しているということだ。 「……おぬしは、いつもひとりでおるのじゃな」  バルシシアの言葉が自分にむけられたものであるということに気がつくのに、若干の時間がかかった。  立ち上がったジェダダスターツを見上げ、バルシシアは、 「やっとう[#「やっとう」に傍点]の道場にはいかぬのか」といった。  近接|戦闘《せんとう》を旨とする氏族の子弟は、なにがしかの訓練過程に身を置くのが普通である。刀剣術の総本山ともいえる帝星の武芸院に寄宿しながら、道場|稽古《けいこ》に参加せず、庭の片すみでひとり剣をふるというのは、たしかに奇矯《ききょう》のふるまいといえる。  その理由をいうならば——  ジェダダスターツはグロウダイン領内にあってなお辺境に位置する星系、オルバババノスの出自《しゅつじ》である。先年、同星系に起こった内乱を平定した朝廷軍に随行した武芸長が、戦地で拾った少年、それが彼だ。  武芸院の長、ドルガガルスは酔狂のおこないで知られる人物である。 「面白い小僧だと思った」  それだけの理由で、ジェダダスターツは帝星に召し寄せられ、武芸院の片すみに身を置くことになった。  だが、もとより辺境出の胡乱《うろん》な少年が、帝星の貴族の間になじもうはずもない。当時も今も、道場の中にジェダダスターツの居場所はない。  しかし……。  ジェダダスターツは、そうした事情をバルシシアに上手《うま》く説明できる気がしない。また、そうすることに意味があるとも思えない。  無言のまま、首を横にふった。 「ふむ、さようか」  バルシシアは人形の顔をのぞきこみ、鼻を鳴らした。そして、ジェダダスターツがかまえにもどろうとすると、再び顔を上げ、 「家の者はどうしておる。兄弟はおらぬのか」  ジェダダスターツは口を開き、時間をかけて言葉をさがした。  そして、ただひとこと、 「……妹が」といった。 「そうか、妹がおるのか」バルシシアの顔がほころんだ。  バルシシアは人形の髪をなでながら、 「もしわらわにも妹がおったらば、やさしゅうしてやるのじゃ。菓子を横からとって食うたり、オモチャをこわしたりはせんのじゃ」といった。  それから、 「——ときに、おぬしの妹はどうしておる。達者でおるのか」  バルシシアの問いに、ジェダダスターツはかぶりをふった。 「ふむ…?」バルシシアが眉《まゆ》をひそめた。「腹でもこわしておるのか」  ジェダダスターツは、もう一度かぶりをふった。 「どこでどうしておるのじゃ。はっきりと申せ」  バルシシアの口調に、いらだちが混じり始めた。  ジェダダスターツは口を開き、また閉じた。言葉を発する代わりに、おのが首筋に手をまわし、服の下に身につけていた首飾りを外した。 「……妹にござる」と、ジェダダスターツはいった。 「うむ…?」  バルシシアは人形をかたわらに置いて、差し出された首飾りを両手で受けとった。長さ二センチほどの、水晶に似た赤い結晶に、銀の鎖《くさり》がついている。  結晶は「竜角《りゅうかく》」と呼ばれるものだ。グロウダインの第三眼の皮下にあり、全身のエネルギー路の焦点となる器官である。  グロウダインはおのおの体内にひとつずつの竜角をもち、それをのこして死ぬ。  だが、幼いバルシシアには、死というものの実感がない。不思議そうな面もちで首飾りをもてあそび、竜角を天にすかし見る。  第三眼を凝《こ》らすと、帝星の巨大な太陽と四つの月から発するハイパーウェーブが、竜角の中で複雑に屈折し、きらめいているのが見えた。 「……きれいじゃの」と、バルシシアはいった。  それから——  バルシシアは人形の首に竜角の首飾りをかけ、長い鎖《くさり》を二重にまわしてとめた。 「妹の名は、なんというのじゃ」 「ルナスステニア」と、ジェダダスターツは答えた。 「ふむ、よい名じゃ」  バルシシアは人形をひざにだき、赤子に語りかけるようにいった。 「ルナスステニアよ、仲ようしようぞ。今日よりわれらは姉妹じゃ。ともに遊んで、ともに湯浴みをして、床《とこ》にもいっしょに入るのじゃ。そうじゃ、今度おばばにそろいのべべをぬうてもらおう。楽しみじゃのう」  バルシシアは庭石から飛び降り、ジェダダスターツを見上げると、 「妹と遊んできてよいか」といった。  ジェダダスターツがうなずくと、バルシシアは人形をかかえ、はねるように駆けていった。  と——  何分もしないうちに、バルシシアは手ぶらで駆けもどってきた。 「たいへんじゃ、妹を姉上にとられた!」  男装の少女は、本院の太い柱にもたれて立ち、竜角の首飾りを一本の指でくるくるとまわしている。  青みがかった短い髪に、少年めいた物腰。グロウダイン帝国第二皇女、ゾルルミナス・ギルガガガントス15-02Fだ。  ジェダダスターツを連れてもどってきたバルシシアは、 「姉上、お返しくだされ! それは大事なものなのじゃ! この男の妹なのじゃ!」  と、ゾルルミナスにすがりつくようにしていった。 「……ふん」  ゾルルミナスは首飾りをバルシシアの目の前に差し出した。——が、バルシシアが手を伸ばすと、その手をよけて、それを頭上に高く差し上げた。 「姉上!」  バルシシアの攻撃紋《こうげきもん》が怒りと焦燥《しょうそう》で不規則に明滅するさまを見て、ゾルルミナスはからからと笑った。  次いで、その視線が、バルシシアの背後に立つジェダダスターツに留まった。 「貴様……たしか、ジェダダスターツというたな」  ゾルルミナスはバルシシアの体を強く突きはなした。あおむけに転げそうになるバルシシアを、ジェダダスターツの手がささえた。  ゾルルミナスは首飾りをゆらゆらとゆらしながら、うすい笑みを浮かべた。 「これは妹の形見だとか?」  ジェダダスターツは無言のままうなずいた。 「なんたる惰弱か。貴様の妹とやらも、飾りものにされては浮かばれまい」  ジェダダスターツの表情をうかがいながら、ゾルルミナスは首飾りの鎖《くさり》を両手にもち——  ぷつん、と引き切った。 「姉上!」  ゾルルミナスに飛びかかろうとするバルシシアを、ジェダダスターツが押さえた。  ぷつん、ぷつん——と、銀の鎖をこまぎれにして床に落とすと、ゾルルミナスはのこる竜角《りゅうかく》を宙に放り、また受け止めた。 「これは、俺《おれ》が工廠院《こうしょういん》へ送っておく。それが故国《おくに》のためにもなろう」  きわめて高い硬度と、次元振動を帯びやすい性質から、死者ののこした竜角はときとしてCプラス徹甲《てっこう》弾の弾芯《だんしん》として加工され、敵艦《てきかん》の撃破を期して弾薬庫に眠ることになる。これは、グロウダイン流の弔いの中でも上等の扱いである。 「よもや不服はあるまいな」  ゾルルミナスの申し出は、さほど奇異ともいえぬ。むしろ名誉なことだ。  だがジェダダスターツは答えない。赤く光る両眼をゾルルミナスにひた[#「ひた」に傍点]と据《す》え、立ちつくしたままだ。 「貴様、その眼光はどうしたことだ」  そういって、ゾルルミナスが眉《まゆ》をひそめた。 「ひかえよ下郎《げろう》」  ジェダダスターツは目を伏せ、平伏の姿勢をとった。 「……ふん」  ゾルルミナスは柱から身をはなし、ジェダダスターツを見下ろす位置に立った。口元に、笑みが宿っている。 「聞いておるぞ。貴様、平伏をよそおいながら相手に斬りつける[#「平伏をよそおいながら相手に斬りつける」に傍点]、そのような技ばかりを稽古《けいこ》しておるそうだな」  ジェダダスターツは不動だ。  不動のジェダダスターツを見下ろしながら、ゾルルミナスはさらにまがまがしい笑みを浮かべた。その黒い顔面に、うすく、赤く、攻撃紋《こうげきもん》が光り始めた。 「どうした、その技、俺《おれ》にためしてみぬか」  と—— 「姉上、おやめくだされ!」  バルシシアがゾルルミナスの腰に組みついた。 「この男の忠義に、一点のくもりもあろうはずがありませぬ!」  次の瞬間《しゅんかん》、バルシシアはゾルルミナスに突き飛ばされ、床に尻《しり》もちをついた。 「……姉上」  バルシシアが立ち上がった。ブンと音を立てて、その全身に攻撃紋が展開した。 「姉上…ッ!!」 「……ふん」  入れ替わりに、ゾルルミナスの顔から攻撃紋の光が消えた。 「たかが犬一匹、手をよごすのも馬鹿馬鹿《ばかばか》しいわ」  そういい捨てると、ゾルルミナスはきびすを返し、歩き始めた。 「姉——」  バルシシアはその背に呼びかけたが、ゾルルミナスはふり返りもしない。手のひらで竜角《りゅうかく》をもてあそびながら、すたすたと歩いていく。  バルシシアはジェダダスターツの肩に手を置き、 「あ、案ずるな、案ずるな! 姉上はめちゃくちゃ意地が悪うて性格がきつうて性根《しょうね》がひねくれておるが、たまに機嫌《きげん》がいいときもあるのじゃ! おぬしの妹も、いずれはきっと返してもらえるのじゃ!」といった。  ジェダダスターツは平伏の姿勢のまま、動かない。いや——その右手が、すっ、と太刀の柄に伸びた。 「……ならぬ!」  バルシシアはその腕に飛びついた。 「ならぬぞジェダダスターツ! こらえよ!!」  ジェダダスターツの意識は、ゾルルミナスの背にむけられたままだ。  ——第二皇女から発する殺気が、いまだ消えぬ。  はたして——  一〇メートルほどはなれたところで、ゾルルミナスはくるりとふり返りざまに、 「ふッ!」  投げ矢のようにかまえた竜角を、強力な次元振動を絞りこみながら投げた。  小型のCプラス砲弾と化した竜角《りゅうかく》が、ゾルルミナスの手をはなれると同時に通常空間からかき消え、界面下空間を貫いてジェダダスターツにむかった。  対するジェダダスターツは、右腕をバルシシアに押さえられ、身動きがとれない。  しかし——  ジェダダスターツの伏せた頭から一メートルほどのところに、ヂン、と音を立てて、虹《にじ》色の火花が散った。ゾルルミナスの放《はな》った竜角と同様、極限まで絞りを入れられた次元刀の刃が、鞘《さや》から抜かれることなく界面下に鞘走り、飛来する竜角を受け止めたのだ。  同時に、刃の接触点から竜角にこめられたエネルギーの引きこみがおこなわれ、それは熱波と衝撃《しょうげき》波の形でジェダダスターツの全身から放出された。  どおん、という音とともにバルシシアの体が弾き飛ばされ、ゾルルミナスは腰を落として衝撃波に耐えた。  ことり——と、竜角が床に落ちた。  尻《しり》もちをついた形で目を丸くするバルシシアの前で、ジェダダスターツはひざを払って立ち上がった。そして、ゾルルミナスに一礼すると、床の竜角を拾った。 「——なにごとでござるか!?」 「——今の音は!?」  爆発《ばくはつ》音を聞きつけ、人が集まり始めた。  ち…と舌を鳴らすと、ゾルルミナスはきびすを返し、歩み去った。  その姿を油断なく見送るジェダダスターツの背に、 「あっぱれじゃ!」といって、バルシシアが飛びついた。  それ以来、バルシシアは毎日のようにジェダダスターツのもとを訪れるようになった。 「わらわが長じて一軍をひきいるようになったらば——」  と、庭石に腰かけ、足をばたつかせながら、バルシシアはジェダダスターツに話しかける。 「ジェダダスターツよ、おぬしは側居《そばい》にとり立ててつかわす。それから、手ごろな惑星《ほし》を領地としてまかすによって、山のようにでかい城を建てるがよいぞ。おぬしは大とのさまじゃ」  そうしたバルシシアの言葉を聞くでもなく、聞かぬでもなく、ジェダダスターツはいつものように、身を伏せた居合《いあい》の型をとっている。 「……じゃが、せっかくの城にも、あまり長居はできんのう。おぬしはずっとわらわとともに戦場《いくさば》を駆けてまわるのじゃからして。これは困ったのう」  ジェダダスターツの体内に充実した気合が、次元刀の刃に宿り、基準界面下を走った。二メートルの高さにつるされた鉄鋼樹《てっこうじゅ》の丸太が、虹《にじ》色の刃に綱を斬《き》られ、落下した。  落下する丸太が、空中で虹色の光芒《こうぼう》に包まれた。一瞬《いっしゅん》にして無数の斬撃《ざんげき》を受け、ひとかかえもあったそれは、地に落ちると同時に、何千もの微小な鉄片と化して飛び散った。 「そうじゃ!」  バルシシアは庭石から飛び降り、地面にしゃがみこむと、小枝を手にとって地面に大きな円を描いた。 「惑星全体を機動|要塞《ようさい》に改造すればよいのじゃ。塔のような大砲を何千と生やしてな」  大砲の砲身のつもりか、円の上に何本もの直線を描き足したバルシシアは、顔を上げると、 「ジェダダスターツよ、おぬし大砲は好きか」といった。  新たな丸太を枝につるしながら、ジェダダスターツはあいまいにうなずいた。正直なところ、闘争《とうそう》の手段としては、おのが肉体とその延長たる次元刀のほかに、さして興味《きょうみ》はない。  だが、バルシシアは満足げにうなずき、 「うむ、わらわも大砲は大好きじゃ。主砲は恒星|破壊《はかい》砲がよい。あれが一番でかくて派手じゃからの。……じゃがしかし、守りのことも忘れてはおらんぞ。地表全体に、位相幾何|障壁《しょうへき》を百億万層に張るのじゃ。さすれば、もし姉上らが攻めてきてもへいちゃらじゃ。あとは母上がおいでになったときのために——」  がりがりと地面に図を描き足していたバルシシアは、その手を止めると、むう、とうなって腕を組んだ。 「逃げきるには、ブースターがどれだけいるかのう」  と、そこに—— 「ジェダダスターツ! ジェダダスターツはあるか!」  どすどすと足音を立てながら、駆けてくる者があった。戦略神官オルドドーンだ。  バルシシアは地面から顔を上げ、険しい顔をしながら、 「うるさいぞ、オルドドーン。今、わらわが大事な話をしておるところじゃ」といった。 「おお、これはバルシシア殿下。お絵描きをしてござるか。ほほう、よう描けましたな。これは……むむ……カビの生えた饅頭《まんじゅう》でございますかな」 「たわけッ!」  バルシシアは立ち上がり、体重を増加させながら、オルドドーンの足を思いきり踏みつけた。 「貴様の目はふしあなか! これはわらわとジェダダスターツの無敵要塞じゃ!」 「こ、これはわが身の不覚にござった!」  オルドドーンは踏まれた足を押さえながら、片足でどすどすと飛びはねた。 「されど……今はめでたきときなれば、どうかお許しくだされ」 「なんじゃ、それは」 「おお、そこでござる」  オルドドーンはジェダダスターツにひょこひょこと歩み寄ると、その肩に手を置いた。 「喜べジェダダスターツ、名誉なことじゃ。ついてまいれ」  人並み外れた大顔面が、満面に笑みを浮かべた。 「二の姫さま——ゾルルミナス殿下の、たってのご指名じゃ。おぬし、殿下の御側居役《おそばいやく》に選ばれたぞ!」  銀河最強と謳《うた》われるギルガガガントスは、しかし、万事において無敵というわけではない。戦艦《せんかん》の主装甲をも貫く集中力は、ときとして側面のもろさとなって現れる。  それゆえ、皇族の側居役には、近接|戦闘《せんとう》において最高の技量をもつ者があてられる。  常に主のわきに侍して全方位に注意をむけ、主にむけられる刃があればこれを打ち払い、飛来する矢玉があれば身をもってこれを止める——皇族とその側居役は、ある意味、ふたりでひとり。血よりも濃《こ》いきずなで結ばれることになる。  そして——  元服をひかえた第二皇女ゾルルミナスが、武芸院に帰属する、技量・格式ともに非の打ちどころないあまたの手だれを置いて選んだのは、ただ変物として知られる男、ジェダダスターツであった。 「俺《おれ》はあれ[#「あれ」に傍点]がほしい」  第二皇女の言葉に、人選のため集っていた一同は色めき立って反対した。ある者は彼の血筋を責め、ある者は彼の忠義を疑い、またある者は彼の技を品格に欠けるものとして否定した。  しかし—— 「さすが、二の姫さまはお目が高い」  そういった武芸院の長、ドルガガルスは酔狂のおこないでも知られる人物である。  彼はあごに手をあて、くつくつと笑いながら、 「あれは面白き男にござる」といった。  武芸長の肩入れと、なにより皇女自身の希望とあっては、なに者もこれを押しとどめるわけにはいかぬ。ジェダダスターツは正式に第二皇女の側居役に決定された。  だが—— 「いやじゃ!」  そういって、バルシシアはジェダダスターツの首にかじりついた。 「殿下、無理をいうものではございませぬ」と、オルドドーンはいった。「姉上さまは、その腕を認めればこそ、この男をお召しあそばされるのでござる。この男のためを思うなら、ここはともに喜びましょうぞ」 「いやじゃ! ジェダダスターツはわらわの側居になるのじゃ! そう決めたのじゃ!」 「殿下、ものごとには順序というものがございます。今は道場にある若い者が、いずれ殿下のお役に立とうと、懸命《けんめい》に腕をみがいておるところでございます」 「道場の連中など、みなへっぽこじゃ! ジェダダスターツの足元にもおよばぬわ!」 「もし、おおせの通りならば……なおのこと、ジェダダスターツはその力をまず、姉上さまのために役立てねばなりませぬ」 「いやじゃ、いやじゃ!」バルシシアは首をふった。  オルドドーンはため息をついた。もはや理屈を説いて聞くものではない。 「ジェダダスターツ、おぬしからも、なんぞいうて差し上げよ」  そういわれたジェダダスターツが、ためらいながら口を開くと、 「だまれ! おぬしは余計なことを吐《ぬ》かすな! 殺すぞ!!」  バルシシアの顔面に、音を立てて攻撃紋《こうげきもん》が展開した。小さな体が急激に重量を増し、ジェダダスターツはその重量をささえきれず、地にひざを突いた。ジェダダスターツの首をしっかりとかきいだいたまま、バルシシアはそのつま先を、みしみしと地面にめりこませ始めた。こうなってしまうと、起重機をもってしても動かすことはかなわない。  オルドドーンが困りはてたところに—— 「ハ、おおかたこのようなことになっておると思ったわ」  からからと笑いながら、歩いてくる者があった。 「……姉上」バルシシアののどの奥が、ひくっ、と音を立てた。 「は、これはゾルルミナス殿下」オルドドーンが深々とこうべをたれた。「もうしわけもありませぬ。少々手間どっておりまする」 「おぬし、無能だの」  と、オルドドーンをあっさり切って捨てると、ゾルルミナスはバルシシアの前に立ち、腕を組んだ。 「ハ、どうした、もう駄々《だだ》はこねぬのか。——すんだのなら、連れていくぞ」  ゾルルミナスはとがった歯をむきだし、にたりと笑った。 「その男は俺《おれ》のものだ」 「あ、あ…」  バルシシアはゾルルミナスの発する気迫に気圧《けお》され、しかしその圧力にあらがいながら、 「姉上は盗《ぬす》っ人《と》じゃ!」と叫んだ。  ゾルルミナスの目が、すう、と細まった。 「ほう……盗っ人とな」 「そうじゃ! 姉上はいつもわらわの大事なものをよこどりするのじゃ! ずるいのじゃ!」 「バルシシア殿下、なりませぬぞ! 姉上さまにそのようなことをいうものではありませぬ!」  と、横飛びに飛び出してきたオルドドーンが、続いてゾルルミナスにむき直り、 「ゾルルミナス殿下、どうかお許しくだされ! バルシシア殿下にはそれがしから——」 「うるさい」  ゾルルミナスの足がオルドドーンのみぞおちに決まり、わが身の三倍はあろうその巨体を、高々とけり上げた。オルドドーンは数メートル先の地面に叩《たた》きつけられ、むう、とうなって動かなくなった。  ゾルルミナスが一歩前に進み出た。その顔に、そして全身に、うすく攻撃紋《こうげきもん》が浮かび始めた。 「バルシシア、そこをのけ。世迷いごとは聞き捨てておく」 「いやじゃ! 盗《ぬす》っ人《と》のいうことなど聞かぬ!」  バルシシアの目から涙がこぼれだし、ばちばちと火花を散らしながら攻撃紋の上をすべり落ちた。 「今一度だけいう」  ゾルルミナスの攻撃紋が、ブオン、と大気をふるわせながら、目もくらむほどに輝《かがや》いた。 「……のけ」 「う……あ…」  バルシシアの目が恐怖に見開かれた。ふるえる足を伝って、なにかの液体が地にたれた。小便をもらしたのだ。  しかし——  涙と鼻汁で顔をぐしゃぐしゃにしながら、バルシシアはジェダダスターツにしがみついた。 「……いやじゃあっ!」 「——バルシシア!!」[#「「——バルシシア!!」」は太字]  ゾルルミナスは必殺の気迫をこめて拳《こぶし》をふり上げた。  その瞬間《しゅんかん》——  それまで不動を保っていたジェダダスターツの右手が、反射的に太刀の柄に伸びた。  ——が、その手が柄に届くより早く、 「ふッ!」ゾルルミナスのつま先が、ジェダダスターツのあごをけり上げた。 「ジェダ——!」  バルシシアが終《しま》いまで叫ばぬうちに、その顔面にゾルルミナスの拳が入った。 「——ッしゃああッ!!」[#「「——ッしゃああッ!!」」は太字]  バルシシアの体はぐるりと縦に回転しながら五メートルの距離を吹き飛び、塀《へい》を突きくずして止まった。  さらに、拳をふるった勢いのままに、ゾルルミナスは前方に体を投げ出した。背後に強力な殺気を感じたためだ。ゾルルミナスは地に一転すると、拳をかまえながら立ち上がった。  殺気の主はジェダダスターツだ。  ジェダダスターツは太刀の柄を握り、地に片ひざを突き、身を伏せている。平伏の礼に似て非なる、我流の居合《いあい》のかまえだ。 「貴様……ッ」  いつの間にか、ゾルルミナスの服が大きく斬《き》り裂かれ、攻撃紋の浮いた胸元があらわになっていた。ジェダダスターツがあごをけられながら放った斬撃《ざんげき》によるものだ。  張り詰めた空気の中、両者はにらみ合った。五秒、そして一〇秒——  くずれた塀《へい》が、からり、と音を立てた。  と—— 「う……」  うめき声を上げながら、バルシシアが身動きした。 「う、あ……」  うめきがやがて嗚咽《おえつ》に変わり、そして、バルシシアは両手足をふりまわして泣き叫び始めた。 「う゛あ゛〜〜っ![#「う゛あ゛〜〜っ!」は太字] ずるいのじゃあっ! 姉上はずるいのじゃあ〜〜っ!!」  どしんどしんと地面がふるえ、ハンマーのような手が、もろくなった壁《かべ》をばこんばこんと突きくずした。  はね飛ばされた塀の破片が、にらみ合うふたりの間に、からから……と転がった。 「……やめじゃ」  ゾルルミナスがかまえを解いた。 「野良犬め、せいぜい手元に置いていびってやろうと思うたが、ふん、興《きょう》が冷めたわ」  そういいながら、ゾルルミナスは無造作にジェダダスターツに歩み寄り、その目の前に腕を組んで立った。 「だが、貴様……バルシシアを主と決めたなら、なぜこの俺《おれ》を両断する気迫をたね」  ジェダダスターツは注意深く立ち上がり、上着を脱いでゾルルミナスに差し出した。ゾルルミナスは上着を引ったくると、それをはおりながら、 「そのようなざまでは、とうてい側居《そばい》がつとまるはずもない。貴様ごときには、子守りが似合いじゃ。ハ、せいぜいあの小便たれのむつきを替えておるがよいわ」  そういい捨てると、ゾルルミナスは本院にむかって歩き始めた。そして、途中で地に伸びているオルドドーンにけりを入れ、 「くそ、それにしてもいまいましい」  ちかちかと攻撃紋のまたたく顔をバルシシアのほうにむけ、口をとがらせた。 「……あやつ、泣けばよいと思うておる!」  そして、現在——  真っ赤に灼《や》けた「処刑室」の中を、  ヂィ————————ッ——と虹《にじ》色の火花が散り、  ガガガガガガガガガガッ——と跳弾《ちょうだん》が舞い、  その間を、何十条もの光線が音もなくひらめく。  破壊《はかい》の嵐《あらし》の中心に座し、全方位からの間断ない銃撃《じゅうげき》を受け止め、受け流しながら、ジェダダスターツは静かにほほえんでいる。  ゼララステラのいう通り——バルシシア皇女はたった今も、ひとり敵地にあって泣き暮れているかもしれぬ。  それは、精神的な弱さであるということもできる。  だが、  ——泣きたければ、いくらでも泣けばよい。  ジェダダスターツは、そう考える。  名誉と体面をことに重んじるグロウダインの価値観の中にあって、これは異例の思考である。その点、やはりジェダダスターツは変物であるといえる。  しかし、ジェダダスターツは、バルシシアの弱さとはすなわち、  ——しなやかな強さ[#「しなやかな強さ」に傍点]である。  と、考えている。  軟鋼がたわみながらよく外力に耐えるように、バルシシア皇女はときに泣き叫び、転げまわりながらも、最後まで生き延びるだろう。  それは、自分にはない強さだ、とジェダダスターツは思う。  またそれは、妹にはなかった強さだ、とジェダダスターツは思う。  ……ルナスステニアは、泣かずに死んだ。  妹ののこした竜角《りゅうかく》が、着衣の下で、ちりちりとふるえている。彼の技にともなって発生するハイパーウェーブに、竜角が共振しているのだ。  われながら、馬鹿馬鹿《ばかばか》しいことだが——ジェダダスターツにはそれが、妹が笑っているように思える。  一〇〇万の斬撃《ざんげき》を繰《く》り出し、生と死の狭間《はざま》に身を置きながら、ジェダダスターツはあの世に笑う妹を想《おも》い、泣きながら生きる皇女を想う。  ジェダダスターツの中では、それは矛盾のないひとつの感情だ。  彼はただほほえみながら、ふたりの妹[#「ふたりの妹」に傍点]を想う。 [#改ページ] [#挿絵(img/tatumorike2_182s.jpg)入る] [#改丁] 6  『〈アルゴス〉は眠らず』  翌日——  忠介《ただすけ》は縁側に座り、足の爪《つめ》を切っていた。  左足の親指から始めて、ぱちんぷちんと、人さし指、中指、薬指——ひとつ切るたびに、切った爪を鼻の下にもってきて、ふんふんふん、と匂《にお》いを嗅《か》ぐ。くせなのである。よく「おニイ、それやめて」と陽子《ようこ》に怒られるが、なぜかやめられないのである。ふんふんふん。  ミュウミュウは忠介の体を、背中から頭にかけて、するすると登ったり降りたりして遊んでいる。ちょうど頭のてっぺんに登ったときに風に吹かれたりすると、なにしろ風船みたいに軽いので、ころりと転げ落ちてしまう。てん、と縁台に尻《しり》もちをついて、再チャレンジ。ふわふわした髪の毛が忠介の首筋にふれると「うひゃひゃひゃ」体がゆれて、再びころり、てん。 「ミュウ〜」楽しいらしい。  忠介は左足の爪を切り終えると、今度は右足、親指から。 「おニイ」  廊下から声がかかった。陽子《ようこ》が洗濯《せんたく》かごをよいしょと運びながら、 「それ終わったら、テレビの部屋とお仏壇《ぶつだん》の部屋に掃除機かけてくれる?」  忠介《ただすけ》は首をまわして、 「うん」と答え、  ふり落とされそうになったミュウミュウが、忠介の顔につかまりながら、 「ミュウ」と答えた。  それから、忠介が再び爪《つめ》切りを開始したとき—— 「このくそ猫《ねこ》がぁっ!!」[#「「このくそ猫がぁっ!!」」は本文より1段階大きな文字]  と、二階からバルシシアの声がした。  陽子が二階の「宇宙人部屋」に飛びこむと、入り口側の「連邦領」内で、バルシシアに首根っこをつかまれたカーツが、ギャワワワワ、とあばれていた。 「ちょっと、どうしたの!?」 「どうしたもこうしたもない!」  バルシシアはカーペットに爪を立ててしがみつくカーツの体をべりりとはがし、陽子にむかってずいと突き出した。 「こやつは部屋の中に小便をたれよるのじゃ!!」 「え……大尉、それ本当?」  なおもギャワワと手足をふりまわしていたカーツは、やがてパニック状態から脱し、ぷらりと力を抜いた。金色の瞳《ひとみ》に誇りと意志の光をとりもどしながら、彼はしっぽをひゅっとふった。 『排泄《はいせつ》行為ではない。マーキングだ!』 「同じじゃこの——」バルシシアはカーツをつかんだ腕をふり上げた。  が—— 「殿下」 「……む」  陽子に目顔《めがお》でうながされ、カーツをはなしたバルシシアは、一歩下がってぎしっとベッドに腰かけた。たしっ[#「たしっ」に傍点]と床に降りたカーツは、後ろ足で首筋をかき始めた。  陽子はカーツの上にかがみこみ、 「大尉、ちゃんとおトイレは用意したでしょ?」 『そういう問題ではないのだよ、陽子』カーツは白い胸をそらしながら、陽子を見上げた。『|匂いつけ行動《マーキング》は勢力範囲の確認のため、また、快適な居住|環境《かんきょう》の確保のために必要欠くべからざる行為なのだ! ——なにかね陽子!?』  カーツの首筋を、陽子の手ががしりとつかんだ。 「殿下、どの辺?」 「そこの、壁《かべ》のすみのところじゃ」 『なにをする! やめたまえ! やめたまえ陽子《ようこ》!』  ギャオオオ、と叫ぶカーツの鼻づらを、陽子はぐりぐりと壁に押しつけ、それから、 「もうしないって約束する?」  カーツは陽子の顔を見上げ、 『君たちの連邦領土侵犯および監察官への暴行は、公式に記録しておく!』  反省がないようなので、陽子はもう一度ぐりぐりぐり。ギャオオオ、とカーツ。  カカカカカ、とバルシシアが笑った。 「そうそう、そこのカーテンのはしにもしておったな。あとは、ほれ、そこの柱の角の、痛そうにとがったあたりにもしておった。うむ、たしかにしておったぞ! まったくもって不届きなやつじゃ!!」  ぐりぐりぐり、ぐりぐりぐり、と、なおも鼻づらを押しつけられたカーツが、 『了解——了解した! 当面は君たちの土着の生活習慣を考慮《こうりょ》に入れるとしよう!』と叫ぶと、 「そうしてもらえると、ありがたいわね」といって、陽子は手をはなした。  カーツは桃色の舌で鼻先をぺろぺろとなめながら、 『やれやれ、クオリティ・オブ・ライフの観念を君たちに理解させるには、まだまだ骨が折れそうだな!』 「……」  陽子の手が再びカーツをつかみ、再びぐりぐりぐりぐりギャオオオ。  そのさまを指さし、ベッドをぎしぎしいわせながらカカカと笑っていたバルシシアが、 「……ねえ、殿下」陽子に声をかけられ、 「なんじゃ」といいながら、思わず背筋を伸ばした。  陽子はなおもカーツをぐりぐりしながら、 「お昼食べたら、殿下とミュウちゃんのお洋服買いに行きましょ」 「ふむ」  バルシシアは、ぎしっとベッドをきしませながら腕を組み、 「……うむ!」といった。  爪《つめ》切りを片手に、ぼえーっと口を開きながら天井を見上げていた忠介《ただすけ》は、どうやら上のバタバタがおさまったと見て「テレビの部屋」=居間の掃除を始めた。  ぶおおーん、とうなりを上げる掃除機にまたがったミュウミュウが、 「ミュウウ〜〜」と声を上げ、馬の横腹をけるように足をぱたぱたさせた。  居間に掃除機をかけ終わると、続いて「お仏壇《ぶつだん》の部屋」——となりの六畳間。先日〈スピードスター〉が突っこんだ部屋だ。カーツとバルシシアがこわした床や壁《かべ》は、鈴木《すずき》が呼んだ大工(例によって妙にきびきびした人たちだった)がまたたく間に直してしまい、今は新築同様になっている。  ふたつの部屋の掃除が終わると、忠介《ただすけ》は掃除機を押し入れにしまい、新品の青い畳の上にうつぶせになった。  忠介は畳の匂《にお》いが好きだ。  畳にほおをあてて、んっふう〜、と変な声を出しながら深呼吸。  ててててて、と、居間と六畳間を意味もなく行ったりきたりしていたミュウミュウが、忠介の横にぱたりと倒れ、畳にほおをすりつけながら、 「ミュウ〜」といった。  忠介の目が、ふと、仏壇《ぶつだん》の前の経机《きょうづくえ》に止まった。リンゴやバナナの入った果物かごの後ろに、昨日の色紙が立てかけてある。  忠介は畳の上をごろりんと転がって仏壇の前まで移動し、色紙を手にとった。 「仲よきことは美しき哉《かな》」の文字を中心に、バルシシアの手形とカーツの足形、それと忠介の小さな「足形」が押されている。  なんだか、いい感じ。  忠介はあおむけになって腕を伸ばし、顔の上に色紙ををささげもって、 「……んふふふ」と、含み笑いをもらした。 「ミュウ」といって、ミュウミュウが忠介の上によじ登った。それから、腹の上に馬乗りになって、風船のようにぽんぽんとはねた。  チチチ……と、表でスズメが鳴いている。  ミュウミュウは忠介の胸にほおをあて、くるるるる……と、のどを鳴らし始めた。  そのころ、ハワイ・サイクロプス天文台、中央観測室——  暗く天井の高いその部屋には、さまざまなサイズと形式のモニターが設置され、その中心にある大モニターには、大小の光点で模式的にしめされた天の川が表示されている。  白衣を身につけたスタッフが、ある者は足早にコンソールの前を横切り、ある者はモニターにかじりつきながら、ヘッドセットのマイクに早口で話しかけている。 〈キーパー〉による近隣《きんりん》星系の爆破《ばくは》、そして、銀河連邦、グロウダイン帝国、〈キーパー〉との相次ぐコンタクト——ここ数日の間に起こった、それぞれが地球人類(あるいは「準」人類)の存在の基盤《きばん》をもゆるがす一連の大事件は、今、対地球外知性体対策組織〈アルゴス〉によって着実に対処されつつあった。  地球外知性体の監視と彼らへの対応の検討、銀河連邦|艦《かん》の超電磁ジャマーによって停止した〈アルゴス・システム〉の復旧、国連および各国政府への通達、マスメディアに対する情報統制、etc、etc——『アズマ計画』に予言されていた「その日」がきた今、〈アルゴス〉はその存在をためされ、現状、それにどうにか応えている。  そして現在——  あわただしく行ききするスタッフを尻目《しりめ》に、デスクのひとつで、ひとりの男がゆったりと目を閉じている。  龍守《たつもり》達夫《たつお》博士。波動宇宙論の権威にして〈アルゴス〉の幹部のひとり、そして、観測班の主任でもある。  ここ数日、不眠不休で一〇〇近い会議に出席していた彼は、今、数時間の自由時間を与えられ、この中央観測室で休憩《きゅうけい》している。ヘッドセットをつけ、リクライニングさせた座席にもたれ……疲労のため目元にくまが出ているが、その顔には満足げな笑みが浮かんでいる。  ヘッドセットから流れるエーテルのささやき——音声化されたハイパーウェーブノイズを、龍守は聞くともなしに聞いている。〈キーパー〉による恒星|爆破《ばくは》は、約五〇時間のうちにひと通りすんだようだ。超新星爆発によるノイズの嵐《あらし》は、高速な帯域から順に地球を通過し、現在、受信状態はクリアになりつつある。運がよければ、銀河連邦かグロウダイン帝国でおこなわれている通信の断片くらいは、この場で拾えるかもしれない。  もちろん、サイクロプス天文台の望遠鏡《ぼうえんきょう》がとらえたハイパーウェーブは、自動的に〈アルゴス・システム〉によって解析されている。龍守が監視する必要はない。これは、単なる趣味《しゅみ》だ。 「……楽しそうだな、タツオ」  と、頭上から声をかける者があった。観測班の副主任、コーネル博士だ。 「ああ、楽しいね」と、目を閉じたまま、龍守は答えた。「思い出すなあ……子供のころ、自作の短波ラジオで一晩中、いろんな国の放送を聞いてたよ。……北朝鮮とか、ベトナムとか、エクアドルとか、バチカンとか。もちろん、意味なんかわかりゃしない。しかし、あのときのあれば、そう——」  龍守は頭上に手を伸ばし、空中からなにかをつかみとるようなしぐさをした。 「俺《おれ》がこの手で見つけ出した、魔法《まほう》の国の言葉だったんだ」 「そして今も、星々の狭間《はざま》に『魔法の国』をさがす……か」コーネルは、ふふん、と鼻を鳴らし、「詩人だな、おまえさんは」 「そりゃもう」と、龍守。「ひとくさりひねって見せようか? タイトルは——」 「いらん。さっさと寝ろ」と、コーネルはいった。「おまえさんに倒れられてもしたら、わしの仕事が増える。……この間は肝を冷やしたぞ」 「この間?」 「『あの日』の、テレビ収録の——」 「ああ、例の、〈青い地球〉の工作員か。……ええと、なにかいってたな」 「『侵略者におもねる寄生虫』——わしらは異星人の手先で、地球征服を狙《ねら》っている、ってな」 「ああ、それだ——どこからそういう考えが出るのかな。よくわからん」と、龍守《たつもり》。 「簡単なことだ」と、コーネル。「連中、あわよくば自分たちがその『地球征服』とやらをしたいのさ。心にやましいところがあるから、他人が怪しく見えるんだ」 「ますますわからん。そんなことして、なにが楽しいんだ?」 「そりゃ、なにか生活に不満があるんだろう。女にもてないとか、金がないとか、ママがオモチャを買ってくれないとか、な」 「なに、地球を征服するとモテモテになるって?」龍守は、にゅい、と口元をゆがめ、愛嬌《あいきょう》のある笑みを浮かべた。「そりゃあいい。今度、嫁さんに内緒でやってみよう」  コーネルは龍守の軽口を無視し、続けていった。 「……だれも、自分のせいだとは思いたくないのさ。『自分の身のまわりのものごとが上手《うま》くいかないのは世の中のせいだ。いや、世の中を陰であやつっている悪いやつのせいだ。そいつを倒して、ちゃんとした自分の世界[#「自分の世界」に傍点]をとりもどさねば』ってな……胎内回帰願望のバリエーションだ」 「ふむ、現実の社会に適応できていないのか。それは気の毒だ……やはり、一度話し合いの機会をもつ必要があるかな」 「馬鹿《ばか》、殺されるぞ」  龍守は、片目をうすく開けてコーネルを見上げ、 「はは、まさか」といった。  コーネルは頭をふってため息をついた。その後退した生えぎわに、モニターの光が複雑に反射した。 「タツオ、おまえさんは人の悪意ってもんに対して鈍感だ」 「うん? ああ、よくいわれるが……そうかな」  龍守はあごに手をあて、にゅにゅにゅ、と口元をゆがめた。それから、 「……いやしかし、俺《おれ》が思うに、悪意というものこそが、ある種の鈍感さの表れなんだな。よりよき共存への道に対して盲《めし》いているんだ。軽度の精神的失調といえるかもしれない」 「だが彼らにとっては、悪意越しに見た世界こそが現実だ」と、コーネルはいった。「いや、だれでも自分の理解を超えたものには敵意と憎悪をいだくもんだ。彼らにとってはおまえさんこそが、自分の足元をくずそうとする、悪意の使者なんだよ」 「んん……いや? その足元に不満がある、という前提だろ? くずせばいいじゃないか」 「不満はあるが愛着もあるのさ。『どこかここじゃないところに行きたい、しかし、ここから動きたくはない』そう考えるのが人間だ。おまえさんみたいなタイプは特殊——いや、異常なんだ。自覚しろ」 「うーむ、そんなものかな」  龍守は腕を組み、にゅにゅにゅにゅにゅ、と考えこんだ。  その目の前を通ってきた女性スタッフが、ひとかかえのレポートの束をどさりとデスクに置き、手早く三つの山に分けた。そして、それぞれの山のてっぺんと、デスク上のモニターに付箋《ふせん》を貼《は》りつけながら、 「目を通しておいてください。『一二時間後』、『六時間後』、それに『至急』です」  彼女が足早に去ると、コーネルは「至急」の山から一編のレポートを手にとった。そして、モニターの付箋の一枚を外しながら、 「『至急』は『三時間後』に変更だ」といった。  龍守はコーネルにむかって手を伸ばした。 「それ、面白そうだね」 「三時間寝たら見せてやる」コーネルはレポートを繰りながら、「……安心しろ。子供たちは元気だそうだ」  龍守は肩をすくめながら、伸ばした手を引っこめ、胸の上に組んだ。 「心配はしてないよ。情報班はよくやってくれてる」 「ふん、あれでか? おとといのスクランブル騒《さわ》ぎはどうだ」 「仕方ないよ。金も人手も限られてるんだ、完璧《かんぺき》とはいかないさ」 「ふむ、また『電子|錬金《れんきん》術』の出番か。しかし……」と、コーネルはいった。 〈アルゴス・システム〉の機能をもってすれば、株式市場への間接的な介入によって、さほど目立たずに、しかも完全に合法的に、必要なだけの利益をひねり出すことができる。が—— 「それも、あまりやりすぎないようにせんとな。またほうぼうから苦情がくる」 「ああ……しかし、なんでだろう。自分の財布から金を抜かれたとでも思うのかな」と、龍守はいった。そして、「……そうだ、半端にやるから『かすめとられた』と思われるんだ。いっそ、|〈アルゴス〉《うち》のほうで世界経済全体を管理してやったらどうかな? こっちの予算を確保した上で、余剰資産はなるべく公平を期して再分配してやれば……うん、なにかと無駄《むだ》も省けるし、社会全体がゆたかになる。みんな喜ぶだろう」 「馬鹿《ばか》、それこそが『地球征服』ってやつだぞ」コーネルは肩をすくめ、「おまえさん、そういうところが嫌《きら》われるんだ」 「ふむ、いい考えだと思ったんだが」 「半世紀前のセンスだな。『下手《へた》の考え休むに似たり』、同じことならさっさと寝ろ」 「……イエッサー」  大あくびをひとつすると、龍守はヘッドセットを外しかけた。  が—— 「うん!?」  龍守は座席から飛び上がるように、体を起こした。 「どうした!?」 「今、なにか規則的な信号が——」  龍守《たつもり》はヘッドセットの耳元を押さえながら、片手をキーボードの上に走らせ、モニター上に〈アルゴス・システム〉内の処理状況を呼び出した。 〈アルゴス・システム〉もまた、龍守と同じ判断を下していた。龍守の聞いていた受信領域の処理優先順位が急速に上昇し、やがて「最優先」になった。ハイパーウェーブノイズの中から有意信号がリアルタイムに分離され、翻訳《ほんやく》プロセスにかけられた。  電子メールの着信音を模した間の抜けたチャイムの音とともに、大モニターに、注目をうながすサインが点滅した。室内が大きくざわめき、静まり返った。  大モニターは次々と情報を表示していく。信号は銀河連邦形式の救難信号および音声通信。翻訳準備——翻訳中——完了。音声出力準備——出力中。  そして——  観測室内に、切迫した調子の合成音声がひびきわたった。 『メイデイでおじゃる! メイデイでおじゃる!』[#「『メイデイでおじゃる! メイデイでおじゃる!』」は太字]  ミュウミュウにぺろりとほおをなめられて、忠介《ただすけ》は気がついた。寝てしまっていたらしい。体に毛布がかかっていて、頭の下にはふたつ折りにした座布団がはさまれている。  忠介はよく、今みたいに、ぼーっとしているうちにいつの間にか寝てしまうのだが、憲夫《のりお》と清志《きよし》には「それが信じられん」といわれる。憲夫はつねづね「寝てる時間がもったいない」と、力の限りテレビを見たり音楽を聴《き》いたりして夜更かししてからバタンと寝るそうだし、清志は「規則的な生活が一番効率的だ」といって、毎日決まった時間に目覚ましをかけてから寝るのだそうである。忠介のように、わけもなく寝たり起きたりはしないのだ。  忠介は毛布をよけてもそりと起き上がり、ずずっと洟《はな》をすすった。  また寝ながら泣いていたようだ。こういうことが、忠介にはよくある。  ——なんでかなあ。別に悲しいことなんかないのに、不思議だなあ。  それでも忠介は、寝起きの「よくわからないけど悲しい気もち」が陽《ひ》の光に溶けていく感じが、嫌《きら》いではない。 「ミュウ〜」  じたばたともがきながら毛布の中からはい出したミュウミュウが、忠介にしがみついた。 「ん……」  ミュウミュウの頭をくしゃくしゃとなでながら、忠介はもう一度洟をすすった。目のはしから横むきに流れていた涙の粒が、直角にむきを変えて、こめかみのあたりをつうっとすべった。  忠介は、涙が皮膚《ひふ》を伝うときの、むずむずするような感覚が好きだ。  でも、よだれがあごを伝うときの感覚はそんなに好きじゃない。  同じことなのに、なんでかなあ。よだれのほうがベタベタしてばっちい感じだからだろうか。それにしても、なんでよだれはベタベタしてるのかなあ、などと思いつつ、忠介《ただすけ》はあごのよだれをぬぐった。  すると、 「あ…?」手の甲に墨がついた。  あわてて周囲を見まわすと、忠介のまくら元に、例の色紙があった。忠介の「足形」の一部がぬらしてこすったように——多分忠介のよだれとあごで——にじんでいる。よく見ると、にじみが広がらないように、慎重にぬぐったあとがある。陽子《ようこ》がやってくれたのだろう。  忠介はミュウミュウを腰に引っつけたままティッシュの箱をとりに行き、あごの墨をふいて、ずはー、ずはー、と、鼻をかんだ。  それから、仏壇《ぶつだん》の前にぴたりと正座して、色紙を経机《きょうづくえ》の上にもどした。  次いで、チーン、と鈴《りん》を鳴らし、仏壇の中をなむなむと拝んだ。  仏壇の中には、小さな金の仏像と、黒塗りの位牌《いはい》と、黒ぶちの写真立てがある。  写真立てに入っているのは、三〇半ばくらいのきれいな女の人の写真だ。品がよくて、やさしい感じで、にこにこと楽しそうに笑っている。  額《ひたい》の真ん中の、ちょうど忠介と同じ位置に、ぽつんとほくろがある。京都とかの古いお寺に飾ってある「観音さま」みたいだな、と、自分も仏像みたいな顔をしてるくせに、忠介は思う。  忠介と陽子は、この人を「お仏壇のお母さん」と呼んでいる。 「大事なもの」——学校の成績表だったり、ご近所からのいただきものだったり、できたてのプラモデル(いや、それは必要ないと陽子にいわれるのだが)だったり——は、一旦《いったん》「お仏壇のお母さん」のところに上げて「ご報告」することになっている。 「えーと」  ——大事な色紙によだれをたらしてしまいました。ごめんなさい。  と心の中であやまりつつ、忠介はなおも、なむなむなむ。 「ミュウ」忠介のわきの下に、ミュウミュウがずぼっと頭を突っこんできた。 「ん…」忠介はミュウミュウをひざにだき上げ、両手首をもって合掌《がっしょう》させた。 「ミュウ?」  不思議そうに手元を見るミュウミュウの髪が、忠介の目の前で、ふわりとゆれた。 「んんー」  忠介はミュウミュウの頭に顔をつけ、ふすー、ふすー、と息をした。シャンプーの匂《にお》いがする。 「おニイ、匂い嗅《か》がないの」  と、いつの間にか後ろに立っていた陽子がいった。さっきまで忠介にかかっていた毛布を慣れた手つきでたたみながら、 「それって変な人みたい」 「んんー……そう?」といって、忠介《ただすけ》は最後にもう一度だけ、ふすすー。 「ミュウウ〜」と、ミュウミュウがくすぐったそうにいった。  それから、 「おニイ、ごはんは?」と陽子《ようこ》。 「あ……うん、食べる」と忠介。まだちょっとぼーっとしている。 「じゃ、用意するから、ちゃぶ台出してくれる?」  といって陽子は立ち上がり、ぱたぱたと階段の下に行き、 「殿下ー、大尉ー、ごはんよー」といった。  忠介はミュウミュウを小わきにかかえて立ち上がった。「ミュウ〜」といって、ミュウミュウが足をぱたぱたさせた。 「お仏壇《ぶつだん》のお母さん」は、仏壇の中で、にこにこと楽しそうに笑っている。 [#地付き]〔了〕 [#改ページ] [#挿絵(img/tatumorike2_201s.jpg)入る] [#改丁] ■あとがき■  どうもです古橋《ふるはし》です。みなさん生きてますか、私もです。奇遇奇遇。生きてるってスバラシイですね。  それはさておき、『タツモリ家の食卓2 星間協定調印』でございます。  執筆中いろいろ思うところがあったりなかったりして、最初いっていたのとちょっとちがう形で書き上がったこの第二巻、 「ミネさんたいへんです、登場人物のオヤジ率が上昇中です」とか、 「ミネさんたいへんです、精神寄生体が出てきません」とか、 「ミネさんたいへんです、なにも事件が起こりません」とか、この辺のネタに対して、担当ミネさんが電話の向こうで、 『……』  と固まるところであとがきのオチは決まりだな、と思っていたのですが、 『いえ、問題ないですよ。ただ、連続物のスタイルをとってるわけですから、続きは早く原稿上げてくださいね』  しまった、すんなりOKが出てしまうとは予想外。えーとえーと、なにか新ネタ入れなきゃ、新ネタ。そうだ、ここは一発、かねてより懸案《けんあん》の—— 「『キャラクター対談』をば、あとがきでカマしてもよかでしょうかミネさん」 『「キャラクター対談」というと、登場人物と作者が語り合ったりするアレですか』 「はい、そういったアレです」 『いいと思いますよ。存分にやってください』 「では、よろしくお願いします(プツリ)」 『え?……もしもし?』 ミネ(以下ミ)「——もしもし、古橋《ふるはし》さん?」 龍守《たつもり》忠介《ただすけ》(以下忠)「(背後から)あの〜」 ミ「うわっ、なんですか」 忠「さあ……『編集部にいって担当のミネさんと話してこい』って、作者の人が」 ミ「あ、『対談』ってそういうことか……なにを考えてるんだか、まったく」 忠「あっ、すいません」 ミ「あ、いえいえ、こっちの話です。すいませんねどうも、わざわざお越しいただいて」 忠「いえいえ、どうもどうも」 ミ「……えー、それではさっそく、新キャラも登場してますます盛り上がるこの第二巻ですが」 忠「えっ、そうなんですか」 ミ「あ、まだ会ってませんでしたか。忠介君、今回なにしてましたっけ」 忠「えーと、ジロウマルと散歩して、大尉とミュウミュウにブラシをかけて、風呂《ふろ》を洗って、部屋の掃除をして」 ミ「なんだか家事労働ばっかりですね」 忠「あと足の爪《つめ》切りとか、それから昼寝とか」 ミ「……えー、忠介君」 忠「はい?」 ミ「ご存知《ぞんじ》の通り、ライトノベルの主人公というのは読者さんが夢をたくす存在ですので」 忠「はあ、えらいんですねえ」 ミ「いや、そんな人ごとみたいにいわないで、あなたもガンガン活躍《かつやく》してください。今はまだちょっとキャラが弱いので、なにかこう、目的をもって積極的に行動してほしいですね」 忠「あ、えーと、はあ、善処します」 「——てな感じでどうでしょうか。イヤですかミネさん」 『いえ、かまいませんけど、ただ——』 「なんですか」 『「担当ミネさん」が、キャラ的にいまいち面白みがありませんね。なんとかなりませんか』 「……はあ、ちょっと考えてみます」  というわけで、例によってこの本に関《かか》わったり関わらなかったりする全《すべ》ての人に感謝しつつ、三巻にむけて担当ミネさんのキャラ演出のてこ入れについて思案する日々を送る私ですが、 『いや、あとがきのことは本編書いてからでいいんですよ』 「……あ、はいはい」  次巻もよろしく。 [#地付き]二〇〇〇年七月 [#改ページ] 底本:「タツモリ家の食卓2 星間協定調印」電撃文庫、メディアワークス    2000(平成12)年9月25日初版発行 入力: 校正: 2008年4月5日作成